記事のアーカイブ
2023年01月16日 18:47
時間が過ぎる、これは自分を時間の外側に置いて、流れを眺めるからこそ認識できるのか・・・・・・2023年になって、令和4年になって、年が明けて、既に半月が、2週間以上が、16日が、過ぎ去った、うかうかしている間に太巻きを大口に押し込む節分、その時には1年の12分の1が過ぎ去ったという事になるのだけれど。時間というのは後付けでしかないようにも思え、日々僕らの周りでは何が起きているのか、経験に出会い続けているとも言えるし、物や事象の変化を認知し続けているとも言える。経験に出会い続ける事は、大切ですね。
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2023年01月08日 19:47
どんど焼きというのは今でもやるのでしょうか、正月明けのいつ位だったか昭和のノスタルジー。細い木の枝にカラフルな、僕はあれは餅だと思って食べていましたが、あとから小麦粉だと知った。小麦粉をピンクや黄緑、カラフルな色でこねくり回して小さなダンゴ状にして刺したもの。それを近所の、公民館を兼ねた神社に持って行ってくべられたやぐらの火にかざして焼いて、これでもかと白砂糖をつけて、というより小皿に盛られた白砂糖の山に押し付けて、焼いた小麦粉を食べているのだか白砂糖を大量に口に放り込んでいるのだか、罪悪感から解放され好きなだけ砂糖を頬張れる満足感。極彩色の発色、大量の白砂糖、即席で自分で作る駄菓子のような感
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2022年12月18日 20:15
平たく言えばSNS上から面白い動画を拾ってきて、タレントさんに視聴してもらって大笑いのリアクションを放送する、という流れで番組を成立させるという・・・・・・これは別にやけっぱちの飛び道具という訳ではなく、規格としてそれなりに成立しているSNSと地上波放送の融合、特にその昔オーギュストを気取っていたテレビが個人コンテンツに阿っているという訳でもなく、今は過渡期としてそういった手法もギリギリありなのだと思いますが。昔は面白い人を集めて、面白い動画を投稿させてそういった規格を成功させていたのかもしてはせんが、今はファスト化やサブスク化が、日本中に蔓延していますから。メディアは常に、コンテンツに目を光
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2022年12月09日 17:10
いい仕事、いい車、いい家、いい服・・・・・・この「いい○○」というのは、見栄えがいいとか世間体がいいとか、世間の目が介在している「いい」なのか、それとも自分にとっての「いい」なのか。。これはとても複雑な問題でもあり、人からどう見えるかという事が自分にとっての大問題である人もいるし、人の目は関係なくただ自分が心地よいかどうかというのが判断基準の人もいるし。経済的問題もありますね、人が羨むような「いい○○」を買おうと思っても自分が稼いでいる給料では叶わないから、身の丈にあったものを選択して、自分にとって大切な事は高価なものではなく自分が心地よいと感じられるものであると、自分を思い込ませる。高度成長
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2022年12月05日 16:53
サッカーワールドカップのおかげで日本がフィーチャーされていて、世界中を好意的な想いが駆け巡っているかのよう。「サムライブルー」ここで言われるサムライというのは明確に定義されているのかというと、そういう訳でもないでしょうか、それぞれが想うサムライそれはやはり、シミュラークルとしてのサムライの理想像なのかもしれませんが。歴史小説であったり戦国武将ドラマであったり、今の時代はマンガやアニメであったり、そういうそれぞれの場所で様々なサムライの在り方が表現されている。敢えて再定義しなくても、サムライと口にする人それぞれが漠然と思うサムライ、これを大切にしてゆけばいいように思え。サムライという欲望の対象、
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2022年11月27日 17:11
昔からある構造として、もしくは言語化されなかったおぼろげな概念として、なんとなくやれそうだと思ってとか、惹きつけられてそれが魅力的に思えてやってみようかなと根拠のない自信を携えて多少は人目を避けるようにしつつも頑張ってみる。その結果、失敗した時は、それを無かった事にしてまた新たなものに目を向ける、これは自分が傷つかない為の工夫でもあるし、もし成功したら人に自慢したり言いふらしたりすればいい。こんなような作法というのはずっと昔から存在していて、ただその仕組みが名付けられていなかっただけ、それは人しれず行為されていたから。今の時代はこの仕方に「ワンチャンいけるかもしれん」とノリで言われるように、ワ
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2022年11月21日 10:53
神様がいた時代、人間にとってそこでの拠り所は神様だった、自分の頭上に神様を設定していた。現代になって科学技術の発展と共に、もしかしたら神様っていないんじゃないか・・・・・と考えられるようになり、その代わりとして人間の無意識が神様にとって変わった。スマホやインターネット以前はそれでよかったのだけれど、今人間の無意識はどこにあるかというと、スマホの中、というかスマホをただのインターフェイスと見なした場合、そのスマホのデータが蓄積されている仮想空間に、無意識が移転されている。ここ何年か、AIとか、もてはやされていますが、そのAIと呼ばれるものが仮想空間内にあるスマホ経由で献上された無意識を吸収したら
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2022年11月17日 11:46
コロナ第八波の入り口、これでまた出社を控えてリモート会議とかになってしまうのかどうなのか。リモート会議、当初は洗練されたスタイルのように流布されてかなりもてはやされたりしたでしょうか、みんなが意識高い人になれたように感じもして。リモートが続くとやはり、物足りなさを感じてしまうこともよくあって「やっぱり会って話さないとね」とか。多くの人がインターネットを通じてのビデオ会議に、何らかの違和感を感じる、その違和感の正体が何なのか分からない不気味さを伴いながら。一つには、達成感とか実感とか、そういった感覚的なものが満たされにくい様に思います。自宅でPCの前に座って会社の仲間と会議をする、疲れるのは頭だ
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2022年11月13日 19:26
夏の暑さが落ちつき、徐々に空の色も変わってくる、夏の間は暑さと格闘していたので、ひとまずはホッとする10月の末頃。ホッとすると、我に返ってしまうというか、思考が正常化してくるというか、ふと気が付くと過ごしやすい秋になっていて、それはカレンダー上では11月。12月になると慌ただしくなって感慨に浸る時間など持てなかったりします。11月の今、気を抜くと我に返りやすい季節の真っ只中。慌ただしく日々をやり過ごしている間に、いつの間にか秋、11月、それは今年も終わりにさしかかっているという事。今年は新たな自分が生成されたのかどうなのか、単純に日々をやり過ごし続けてきたのかどうか・・・・・・・・まあ、基本的
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2022年11月10日 13:28
メディアの変容に伴って発信されるコンテンツをどのように楽しむか、という事が受け取る側の工夫によって推し進められている、オタク的心性が薄く広く社会全体に行き渡りきった批評的フィルター。発信されるコンテンツを、メタを承知で楽しめる優れた能力。メタを客観している段階では批評的分析的楽しみ方が可能なのですが、そのメタから・・・・・というのはコンテンツ発信側のキャラが本気で演じているうちにベタに転じる瞬間がある。観ているものはそこで、リアルに触れる事が出来て、感動するというすぐれた構造。現実界の裂け目のその奥を垣間見たような感覚に陥った時に僕らは感動を覚える、というのは電脳化以前の前世紀から変わっていな
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