神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2021年09月06日 19:44

子供と大人

感情が理性を操作するのか、理性が感情を制御するのか、感情が主であった方がダイナミックで楽しい場合もあるし、人を傷つけてしまう場合もある。というか、感情と理性、どちらが主だとしてもダイナミックさというのは得る事は出来る、ダイナミックさというのは現前に没入している時の副産物。未熟なダイナミックさと成熟したダイナミックさの違い、子供と大人の違い。

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2021年09月01日 22:03

ドメスティック効果

自己を保つ上で必要なのは社会的立場や自分が成してきた実勢、それから絶対に必要なのは承認される事。それを効率よく満足し続けるには環境はあまり広大ではない方がいい、自分が120%で動きまわれるそして、手の届く範囲で自己表現可能な、身の丈に合った環境。狭い環境で120%で頑張る、その場所で実績を上げ続け承認される、その狭い環境はドメスティックのような心地のよい環境に格上げされる、その効果としてより伸び伸びと力を発揮し続ける事が出来る、そして頼りにされ喜びが芽生え自己を容易に保てるようになる。今は行動範囲が狭くなるしかない状況、全てをドメスティックとみなせるようになるには。

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2021年08月25日 21:39

スキゾイドの優位性

自粛生活が続こうが、時間というのはコロナ以前と同じように正確に過ぎ去り続けてゆくという無情の中において、大切なのはやはり「自分は今、確かにここに存在していて、生きている」という事を確認し続けるにはどうしたらいいのか。勿論、充実感を自らに引き寄せる以外にないのだろうけれど、充実感だけが生を実感でる訳ですから。スマホの向こう側に充実感を見出すことが出来る人もいるし、やはり生身の他者と関わる事でしか充実感を得られないという人もいるし、いずれにせよ最低でも情緒的交流というのが欠かせない。スキゾイド、サイクロイド、今の環境により適しているのはどちらかというとスキゾイドなのだと思います。

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2021年08月23日 19:18

理想像としてのナイト

武士と騎士を対比させていいのかどうかわかりませんが、主人に仕えるという意味合いにおいて、ただこれは勝手な主観として。武士も騎士も鍛錬を続ける事に変わりはないのでしょうか、どちらにもストイックさのもとで。しかし武士、主人が?白と言ったら黒いものでも白、主人が率いるコミュニティの価値観や理念それはすなわち主人の価値観や理念という事ですが、それに従い続けるイメージそこに自己は存在するのかどうかと言う疑問は別にして、昔ドラマで見た事がありますが主人が「切腹を申しつける」とか爆弾発言をして、その申し渡された武士が「ははあっ、ありがたき幸せ」とか、まさか現実にそのよな事があったとは思いませんが、切腹申しつ

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2021年08月22日 17:15

自明性の喪失?

毎日ただただバタバタとタスク処理をし続け、新型コロナ感染症に驚愕し続け、縮小せざるを得ない環境の中でため息と共に蠢き続ける・・・・・・・・そんな毎日を送っている中で、ふと気が付くと、ある意味、自明性の喪失にも近いような感覚に陥る事があります。自分は誰なのか、というより自分は誰だったか、思い出す努力をある程度以上に全力でしなければ自己を保てないような焦燥的感覚、今はいつで、季節は何で、ここはどこで、自分は何歳で・・・・・・・・アイデンティティが霧散してゆく恐怖。ひとつにはこれも、コロナがもたらした現況なのだろうか、と思います。

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2021年08月20日 20:36

イコンのような

ある一人の人物と関わる中で、最初は単なるインデックスとしてしか認識しないのかもしれませんが、その単なるインデックスは、その人との関係を重ね発見を重ねるほどに今度は、コンテクストとして見い出され始める。発見物が発見されればされるほど、その人の背景は深まってゆく訳ですけれど、多くの場合この辺りで愛を向け始めたりもします。現実に認識された数々の、その人を構成する要素、コンテクストとしてのその集合体、これは確定済の事実、ここで愛を向けると今度はフィルターがかかる、この人はこういう人に違いないという愛のフィルター、それは自分が思い描く愛の対象の理想像というイマジネールのコンプレクス。ここで倒錯が発生して

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2021年08月12日 22:52

部分対象なのか?

スマホやタブレットのタッチパネルをどの指で操作するのかというのは人によって違うようですが、多くの人が人差し指を使っているような印象があります、あと、時々見かける、片手でスマホを持って親指で操作している人、僕はどうしても中指での操作になってしまい、それを人から時々指摘されるので、気になってよく人の指先に目が言ってしまう、中指で操作してると「お前、中指立てんじゃねーよ、なんだその○ァック・ユー的な仕草は」と指摘される。長蛇の列のデパ地下のレジ、エスニック調のワンピースを着た長身のあまり若くはない髪の長い女性、左の手の平に握り寿司の詰め合わせパックを乗せ、そのプラ容器の上に6.5インチ位のスマホを置

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2021年08月10日 11:49

ヒステリー的天候

時代の空気感を精神の病理を例にとって言い表す事もあるけれど、日本は未熟だからまだその概念に上手く当てはまらない、フロイトの言う口唇期や男根期や肛門期をその場のムードによって右往左往しているだけ。人間は、まあそんな感じなのだけれど気候、気候についてはかなり極端で激しい、もしかしたら平均すれば昔と大差ないのかもしれませんが、だからスペクトラムの真ん中あたりがすっぽり抜け落ちてしまっている感じ、両極しか表現されない心象。・・・・・・・自然界のヒステリー症状、解離型のヒステリー症状とも言えるような。

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2021年08月08日 21:34

自己同一性

お盆前位の時期になると思いだしたように墓掃除に行くそれは、もしかしたらバチが当たらないようにする為とかご先祖様に恨まれない為とか、その程度のオカルティックな理由からなのかもしれません。墓参り、血肉を分け与えられた親や祖父母の骨に手を合わせる、きっとその場所には確かな、古典的自己同一性という意味でのアイデンティティが何かを証明しようと毅然と待ち構えている。そこでの対話という体を装った自問自答によって、少し勇気が湧いてきたりもして、清々しさを覚える事だってある。自己同一性、自分が自分である事の証明、今の時代は多くの場合それを証明するるのは社会活動においてという事なのでしょうが、そこで何らかの不具合

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2021年08月02日 19:36

敬意や感謝

日本で行われているにもかかわらず肌で感じる事が出来ない今回の東京オリンピック。ただ、渦中の実感がない分、その効果としてある程度以上に冷静に、客観的に見る事が出来る。様々な国や地域の人々の人間性というものもかなり前景化してきているように思います。勝敗ということ以上に、一緒に戦った相手への敬意や感謝を自明として示し続けてくれたりという事もよく目にします。自尊心、自分に対する満足や自信、そういうものが背景にあって初めて、相手をリスペクト出来るのでしょうね。

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