記事のアーカイブ
2015年09月20日 21:14
常に正直に自分を表現して、自分を理解してくれた敬意を表するに値する人に対して誠意を尽くす。昔より今の方が、価値観の異なる小さな集団がたくさんあって、考え方も多様化しているし、多くの人に理解されようとすると、結構な努力が必要なのかな、とも思います。ーーー今書きながら、昔の方が、これが常識だ、正しい、みたいなものを多くの人が共有してたのかなとチラッと思いましたがーーー逆に多様化という事を考えると、自分はこうだ、と表現したとして何割位の人がそれを理解してくれるのでしょうか。1割~2割位の人が理解を示してくれれば十分なんじゃないのかな、なんて思います。これはね、その人の性格にもよるんでしょうけど。表現
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2015年09月19日 20:26
嘘に嘘を重ねる、自分に嘘をつく、嘘で固めた○○、嘘も方便、優しい嘘、等々色々ありますね。ところで、人から好かれたいと思うと、やっぱり相手の感情に敏感になりすぎたり、気をきかせすぎたり、ちょっと後から疲れちゃったりする事もありますね。だから、好かれようじゃなくて、誰もが当然嫌う事、嘘をつくとか、さらに嘘の上塗りするとか、見え見えの演技っぽい感じとか、妙にうたぐり深いとか。ーー愚痴はどうしようかと思ったんだけど、愚痴を言い合う仲って言うのも成立するのかなと思ってーーあぁ、そうだ、演技くさいのにも、同情を買おうとするのにも、嘘をつく必要がありますね、うたぐり深いのも嘘がバレてないかみたいな理由も。こ
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2015年09月18日 18:49
決心し、行動に移す時。準備や安全確認は当然大切ですね。もう一つ、ネガティブを完全に排除するという事も、とても大切だと思います。やる気満々でいる時、意気揚々としている時。少し位の反対なら、それを力に変えればという事もありますが、さあこれからという時に冷水を浴びせられたら、たまったものではありません。割と身近にあって気がつかなかったりもします。気が付いていたとしても、それが自分の一部のようなものであれば、見ないふりをしたり、という事もありますね。やる気を削がれない為にも、精査をぜひ怠らないようにしていただければと思います。
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2015年09月17日 20:54
「一歩踏み出す勇気」とか、ふつうに言われてます。これは、一歩踏み出すためには勇気が必要だって前提に立ってるんでしょう。・・・成功者の過去を振り返って称賛する時に使うぶんにはいいと思いますが。一歩踏み出せる人は勇敢な人、ということ?そして、思い切って踏み出せない人は臆病な人、などという失礼な事を?一歩踏み出すには勇気が必要 → 自分にはムリ、踏み出せない → なぜなら勇気がないからこういう結論に至っちゃったらどうしてくれんのさ、なんて事を思います。安全だという可能性が高くて、やってみたいかなって気持ちもあるみたいに感じて、踏み出してみようかなと思っている時、「勇気」って言葉が湧き上がってきちゃっ
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2015年09月15日 16:01
お昼前11時くらいの時間の設定のような感じ、とてつもなく広い原っぱみたいな所でドカンの上に座り込んで、ペットボトルに入った、(設定では体にいいとされているらしい)ハチミツ入りの麦茶に割りばしをさして、なぜかその割りばしがストローの代わりになっているようで、ふつうに吸えるんですけど。ぼ~っと麦茶を吸っているところに、あれはなんなのかな?、なんか肉食動物みたいなのが数頭ガウガウ唸りながら近寄ってきて。僕は「じゃまだなぁ」くらいにしか思わなかったんですが、僕が飼っているという設定になっているような、えらくシュッとした猫が草むらから飛び出してきて、何故か前足にはボクシングのグローブ付けてて。あれは、ネ
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2015年09月14日 21:13
仕事でも家事や育児でも、ストレスは徐々に溜まりますね。精神的に緊張状態になります。そういったものを解消する為に、仲間と飲みに行ったり、遊びに行ったり、買い物したり。そういった事は、高揚感もあって、すごく気分がいいし楽しい事です。でも、こういった事は突き詰めると、気分転換、ストレスの解消ではなく、モードチェンジなんじゃないのかな、と思う事があります。気分がいい事も、当然精神的に緊張状態になります。友達と遊びに行って、すっごく楽しくて、家路について一人になったら、なんかフッと寂しくなったように感じる・・・、こういった経験ってないでしょうか。一人になって、一気に高揚感等からくる緊張の糸が切れて寂しく
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2015年09月13日 16:52
カウンセリング等の文脈で理論的なものを使う場合、それは相談にいらして頂いた方に安心や納得や勇気を得てもらう為だったり、今後を検討する為だったりというのがいいと思うんですね。それと同じように、ご自分の事について自己分析的な事をする時に、何らかの理論を使ってやられる方もいらっしゃいますね。なるべくなら、ご自分を否定するためにではないような使い方がいいんじゃないのかな、と思います。分析って、ちょっと破壊や攻撃に通じるところもあるのかもしれませんし、それに理論だって色々ありますし、必ずしも使われるものが、ご自分にフィットするとはかぎらないですし。
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2015年09月12日 21:18
精神的な違和感等(一部身体的にも)をいきなり感じた時、当然ビックリします、すごく不安になるし言葉で表しようもない怖さもありますね。ご自分では認識していらっしゃらないかもしれませんが、頑張りすぎた先に、だったり、自分の想いとずれた事を要求され続けて、なんとか対応し続けてきた先にとか、充実感を伴って頑張っていた先にだったり、緊張が高まっているところになにかキッカケが加わって。もっと色々な具体的理由があるのだと思いますが。当然もう二度と経験したくないと強く思うわけで、そうするとやっぱり常に自分の状態をチェックしつつ、もし違和感を感じるような事があった時には、すごく不安になり恐怖も感じますね。さまざま
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2015年09月12日 08:42
・・・大きなストレスのかかる環境に置かれているんだけど、渦中にある本人はそれをストレスとはあまり感じていない、という強い方っていらっしゃいます。その場合、身体的な症状に出てしまうこともありますよね、のどが詰まっているように感じたり狭くなっているように感じたり、場所はハッキリしないんだけど胸部の肋骨の間あたりが痛かったり、首肩や背中の辺りの強いコリ、視力の低下とか、他にも身体のどこか一か所の感覚が鈍くなったり、(動悸・頭皮の張り・胃腸・膝腰等)体の弱いところに出たり。何度も確認行動するようになったり、呼吸が浅くなるとか、一人でいる時いきなり涙が出てきたりとか、割とはっきりした夢を見るようになった
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2015年09月10日 20:25
「困った時は何でも言ってね」という言葉を差し出していた相手から、相談を受ける事になった。こういう時は、しっかりしなくちゃいけませんね「何でも言ってね」って言っちゃってますし。まずは、相手の居場所になる、という事でしょうか。安心して、全てさらけ出せると感じてもらえるくらいのですね。相手が、せきを切ったように話しだして、少し落ち着いてきたら。「一緒に考えようか、一緒に頑張ろう、っていうか私が頑張るから、あなたは肩の力を抜いて私に協力して、あなたは元気が回復するまでは頑張らなくていいから、今はこれ以上頑張らなくていいよ」・・・こういったニュアンスだと思います。「頑張らなくていいんですよ」という常套句
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