記事のアーカイブ
2015年08月04日 08:47
子供の頃、40代50代位の大人を見ると。なんか、みんな大きくて、恰幅よくて、難しいことしゃべって、にが~いお酒飲んで、けむいばっかりのタバコを美味しそうに吸って、ときに大人だけで大笑いして。子供の自分にはその意味もわからなくて。「ねぇ、なになに?」って聞くと「子供はいいのっ」て言われて、そこでまた大人だけの笑いが起きて。大人ってすごいなぁ、って素直に思ってました。そして、月日が流れ、いざ自分がその年齢に達してみると。なんか、ぜんぜん大人ってすごくないというか、背は大きいけど恰幅よくないし、ぜんぜん難しい事しゃべってないし。子供の頃イメージしてた大人と全然違う。でも、たまに、大人のフリが上手にで
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2015年08月01日 20:37
最近、聞いていると泣きそうになる曲があります。JEWEL海で拾った小さな宝石たちずっとずっと大切にしていたよねただのガラスだってママに叱られてもいつまでもいつまでも心はずませてた頃・・・・大人目線で、その時を想像上で振り返ってみると。太陽にかざしてみて、それがとてもきれいで。純粋だった頃の自分の宝物になり、自分を大切にするのと同じように、大切な宝物になり。かざしてみる度に、その向こう側でキラキラと輝く、希望だけが見えて・・・・。こんなかんじなのかな。もう、戻れないところに思いを馳せるっていうのは、ほんと、切なくなります。
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2015年07月30日 21:50
自分がしてきた数々の選択を遡ってみる。ずっとずっと過去まで、物心ついたころまで。必ずしも、自己責任で、自分一人の意思で選択をし続けてきたわけでもないです。流されてきたという訳ではないですけど、自分を取り巻く環境が自分の意思的なものを作り上げ、その意思的なものが選択をし続けてきたように思います。あの時、もし、もう一つの別の道を選択していたらと、想像しようとしても、その時の状況を思い起こしてみると、やっぱりその時選択した道を選択するのが「自然」だったのかな、こんなふうに思います。ーーーあくまでも、「自然」です、正解ではなく自然。ーーーその結果、今の自分がいるわけですね。いくら遡っても、いくら別の道
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2015年07月29日 21:00
今、代車に乗ってます、また車調子悪くなりまして。助手席側の窓が閉まらなくなったり、エアコンから熱風しか出なくなったり。もう、1200ワットのドライヤーの熱風受けてるみたいな感じ。前回修理に出した時に、次に調子悪くなったら他の車と替えようかって、車屋さんと話していたんで、いま別の車探してもらっていますが。先日、明け方、夢を見ました。・・・・どこかの地下駐車場に車を停めいたところ、隣に駐車しようとした人が、僕の車にチョットだけぶつけてしまって、その人は一生懸命謝っていたんですが、でも大した傷でもなかったので「いやいや、別に大したことないんでいいですよ」と言って、もう一度キズを確認しようと、自分の車
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2015年07月26日 09:25
ちょっと、自虐的になっている時。その感情を、一枚一枚丁寧に剥いていくと、最後に見えてくるものがあるんじゃないでしょうか。やる気のタネみたいなもの。多くの人が、社会性を持つようになった時点では、やる気のタネみたいなものって持っているように思います。社会生活を送っていく中で、失敗、叱責、後悔、ラベリング、こういったものがやる気のタネを覆い尽くしてしまって、そうすると、やっぱり、種が見えなくなってしまうんで、知らず知らずのうちに自分自身で、自分はこんな感じだ、みたいに思いこんでしまう事もあるのかな、と思います。レタスとかキャベツとか、葉物野菜を一枚一枚丁寧に剥いていくと、その途中でやる気のタネが見え
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2015年07月25日 09:32
河原にごろごろしている大きな石を「ぅおりゃ~」ってチョップで割る。目の前に巨漢の男性を10人立たせて、いっさい手を触れずに「きえ~いっ」って、気合いで吹き飛ばす。箸がなくって、人差し指と中指をチョキにして箸の代わりにし、あつあつのカップラーメンを食べる。ええと、なんだこれ、なんとなく書いちゃいましたが。ああ、そうだ、これは無謀ってことです。気合いや根性だけでは、どうにもならない事ですね。・・・なんか、変な流れになってきちゃったな。何が言いたいかというとですね、上記は関係ないんですけど、できる訳ないですから。やっぱり、万全の準備をした上で、チャレンジ直前の不安な気持ちや緊張を打ち消すために入れる
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2015年07月22日 21:34
空気感に敏感な集団の中で、あえて自分の意見を主張するという事は、注目を浴びつつさまざまな感情を向けられ、場合によっては好奇の目でみられ、責任の引き受け手という役割が生じる、こういう事なのかな。仕事でも、コミュニティでも、仲間内でもそうですね。覚悟は必要でしょうが、逆手にとれば野心のあるかたにとってはチャンスになるんでしょうね。
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2015年07月21日 20:26
へたり込んでいる、と感じる時って、どんなときでしょう。大きな失敗をした時、挫折した時、力及ばず無力感にひたっている時、ひとそれぞれ、いろいろな場合があります。まずは、へたり込んでいる事を認識しなくてはいけませんね、これは、挫折を受け入れるというような意味ですが。プライドも傷つくし、もう立ち直れないんじゃないかと不安にもなるし、受け入れ、認めるというのは、かなりしんどいです。一人でやる必要なんか全然ないですよ、手伝ってもらえばいいんです、みんなお互いさまですよ。お互いさまです、失敗や挫折は、誰でもする可能性はあります、周りを見回してみて、今現在は自分だけかもしれませんが、過去は、この先は、自分だ
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2015年07月20日 20:46
相手の望んでいるであろうリアクションを予測できたり、相手の望んでいる事を考えて実行できたり。こういうのはコミュニケーション能力にたけているという事ですよね。お互いに、考え方の似た部分も確認し合えて、一体感も生まれます。意識しないでこういう事が出来る方はいいと思うんですけど、そうではない場合は、その友人と別れて一人になった時、ちょっと疲れが出ちゃったりする時もあるでしょうか。相手に受け入れられる条件として、一つは、考え方や行動が似ているという事でしょうけど。もう一つ、相手にないものを持っている、というのもありますね。ちょっと変わってるけど、なんか魅力のある人、とか。自分と違う考え方をする人の事を
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2015年07月20日 12:10
目の前の壁を脅威に感じて、立ちすくんだり、、、まとわりついてくるものに絡めとられて、身動きが取れなくなったり、、、、背負っているものの重さに押しつぶされそうになって、しゃがみこんだり。人それぞれい感じ方が違いますから、抽象的な表現しかできませんが。気を抜くとあきらめてしまいそうになって、それでも、あきらめたくなくて、なんとかしようと、気を張って頑張っている人。多くの場合、こういう方は、あきらめなくて大丈夫なんだと思います。あきらめたくないという気持ちが、ほんの少しでもある限り、具体的な改善方法を考えていけばいいんだと思います。自身では、あきらめたと認識しているような場合でも、陰性の感情をどんど
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