神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2015年06月13日 09:11

根拠のない自信

今ならオレ、、できそうな気がする、、、、猛獣と素手で互角の勝負をすること。腕相撲でボビーに勝つこと。津軽海峡泳いでわたること。ワニを、、こうっ、、、ガッとして、、グリグリ~ッてやること。ちょっと、極端ですけど、高揚感の中で生まれる、根拠のない自信。自分ではとるに足らないことだと思っていたのに、意外にも周囲から称賛や羨望を向けられて、高揚感に包まれる。周りの視線は暖かく、なにかあった時には、全てが受け皿になってくれるような気がして、何でもできそうな根拠のない自信がムクムクっと。挑戦したいんだけど、失敗しちゃうかも、、、そんな時、こういった受け皿と感じられるものっていうのは、なにか行動を起こす時の

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2015年06月10日 16:39

思考

どんなに遠ざけようとしても、全くなすすべがなく、まとわりついてくるもの。意識をそらそうとすればするほど、頭部の周りでうるさく主張してくるもの。自分が、自分である為のもの。無ければどんなに楽かと思いつつも、もし本当になくなったとしたらと想像すると、とてもそんな、、、思考がなくなるといったような恐怖には耐えられそうもなく。考えないようにしようと思えば思うほど、考えてしまう、、、言語があるから、考えるし、考えないようにしようと思うこと自体も、言語によってなんですね。どうやら、のがれる訳にはいかないようです。

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2015年06月09日 11:26

琴線

もう10年以上聞いていなかった、あるベーシストの方の曲を、久しぶりに聞きました。「ん~っ、懐かしい」と思いながら聞いていて、ふっと琴線に触れた歌詞がありまして。鏡を投げ捨てて 自分を探そう胸に鳴り響く 音だけを信じ眠ろうとしないで 走り続けよう黒いノイズの波が くだけ散るまで鏡とは、想像的な自分、思い込みのようなもの、社会に適応する為に自然発生的に形成され、それを意識によって自分と認識して、、、確信的なキャラみたいなもの?胸に鳴り響く音とは、自分の精神の奥の方にくすぶっているのかも知れない、何らかの想い。眠ろうとしないで~~とは、あきらめずに、居直らずに、その想いを手繰り寄せる努力を続けよう。

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2015年06月08日 21:12

フレーム

辛い想いを、どうやって解消するか、、、と考えた場合。その想いに、定型のフレームを使って向き合っても、なかなか解消方法が見つからない。定型のフレームとは、一般論であり、強迫的なものであり、世間体であり。元々がこういったものに、違和感を感じて辛い想いをしているのかもしれないんですから、解消方法が見つからないのは当然なのかもしれません。だからって「フレームなんか捨てちゃえ」みたいな乱暴な話ではなく(フレームがなければ判断基準もあやふやになってしまいます)、フレームの形を少し変形させる事を考えてみるのもいいのかなって思います。まずは、自分が許容できる範囲で、個性に合った形にすこ~し変形させてみる、、、

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2015年06月08日 21:11

助言する時

的を射た、的確すぎる助言。それを受けた人はどういう感じになるのか、、、助言を受ける人っていうのは、困難にぶつかっていたり、精神的に弱っていたりするわけですね。助言してくれた人の話し方にもよるんでしょうが、権威とみなしたり、尊敬の念を抱いて間違った形で依存したり、逆に否定されたように感じて反発したり、自虐的になったり。人によっては、こんなような場合もあるんじゃないでしょうか。だから、助言する時は、的の中心にくる言葉じゃなくて、中心からちょっとずれた言葉を差し出す。そうする事によって「ああ、それとはちょっと違うけど、こういったことはあるかな、あのね・・・」みたいな感じに。自ら解決方法を導き始めた満

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2015年06月08日 21:05

どんなことでもそうでしょうけど、本物を見極める目って言うのは、、、難しいですね、痛い思いもして、多くを経験して、見る目を養うっていう事になるんですかね。でも、痛い思いが致命傷になってしまったら、それまででしょうし。信頼できる、経験豊富な人に助言を求めるっていうのもいいんでしょうけど、、、助言してくれた人にとっては本物と感じられたとしても、それが自分に合うかどうかっていうのは、また別な話で。逆に、義理立てし過ぎて、抜け出せなくなると、それはそれで苦しい。そうすると、やっぱり、情報を収集して、自分で見当をつけて、納得できる可能性がありそうなものを選択し。対峙しつつ、いつでも立ち去れる状態を確保し、

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2015年06月07日 21:24

「患者さん」ではありません

「患者さん」、、、この言葉をカウンセリング外から投げかけられて、大きな戸惑いを覚える事が、ごく稀にあります。治療者に対して患者さんな訳で、医者でもない自分のところに、わざわざ来てくれる方が「患者さん」であるはずがないんですけどね。カウンセラーに対する言葉としては、クライエントとかカウンセリーとか来談者とか、そんなような言い方がありますけど。自分のところに来てくれる方を、患者さんなんて思ったら、その瞬間に上下関係が発生して、カウンセリングの場なんか成立しないですよね。誰だって、生きていればさまざまな経験や想いを抱えているわけで、それが大きく衝撃的で非常に重たい場合と、それほどでもないという場合が

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2015年06月05日 16:46

準備段階

正対することを拒み続けている差し出されたものに触れさえすればいいということは理性では承知しているのだが触れた瞬間に覚悟が発生するのかもしれないということに気持ちのどこかが怯えているようだ覚悟とは直視 理解 受容 脱出 自立すべて自身が望んでいるはずのものなのだがもう少し もう少しだけそれほど居心地の悪い訳ではないこの場所からの叫びをただ黙って聞き続けるだけにとどめておいてほしい準備さえ整えば必ず差し出されたものに自然と触れる時は訪れるのだからどのような変化にも不安は付きものなのだから、、、たとえそれが前進のためだとしても

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2015年05月30日 09:43

モミ返し

長年通っている整体に、先日行ってきました。自分に合ったところがなかなか見つからず、7人目の整体師さんでやっとです、、、いつもそうなんですけど、日々だんだんと身体のハリやコリが強くなってきて、そのタイミングで整体に行くと。施術後にまず爽快感がきて、その後にモミ返しのようなだるい状態になって、そして徐々にモミ返しの状態からスッキリしていって、その後身体が軽くなる。こんな感じの、一連の流れです。この感じって、初回のカウンセリング終了後にすごく似てるんじゃないのかな、と思っています。カウンセリング終了後、まずは軽くなって、そのあと、カウンセリング中に交わした言葉が蘇ってきて、ちょっと深めに、あらためて

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2015年05月25日 09:21

憂鬱でいるということ

仕事の性質上、一瞬でも満足感に浸る事を自分自身に禁止しているように思います。たとえ、来て頂いた方が、スッキリとした顔で帰っていったとしても、、、そこで自分が満足感に浸ってしまっては、その方とのカウンセリングに、それ以上伸びしろがなくなってしまいというか。満足感が自己満足につながって、独りよがりになって、最後には権威的になっていく、、、これは非常に危険ですし、、、うん、ナルシシックになる事の予防みたいなものなんでしょうか。もし、自分の差し出した言葉に、どんなに納得の表情を示されたとしても、そこで自分が高揚感や醍醐味を感じてしまったら、自分自身の思考もそこで止まって、その先に進めなくなってしまうし

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