神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2015年02月27日 11:58

128.老化?

先日、右肩に強い痛みがあったんですけど。寝る姿勢が悪かったのか、今度は左肩が強い筋肉痛みたいになっていて。何の気なしに肩をグルグル回してみたところ、なんか肩はずれたんじゃないかと思う位の痛みが走って。その日は一日中、ちょっと動かすだけで、びりびり痛くて。こういうの40肩とか50肩とか言うんでしょうか?まあ、僕の場合は間違いなく50肩の方ですけど。2日位で、なんとなく治りましたが、ちょっと老化の恐怖を実感しました。そして今は、・・・首の後ろ側が痛いです。

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2015年02月26日 09:36

127.信じて頼れる人

信頼できる人。信じて、そして頼れる人は。そう滅多な事では、出会えないように思います。自分の何かを委ねたり、場合によっては自分自身さえも委ねたり。頼れるって言う事は、やっぱり相手側に一切の打算がなく、100%自分の事を考えて真摯に対応し続けてくれる事によって、初めて芽生える感情なんじゃないのかなあと。打算や自己満足みたいなものが一切ないっていうのは、ごくごく、まれですよね。そういう人を探そうと努力して見つかるものなのか、もしくは偶然そういう人に出会えたら、それは本当に幸運なことなのか。信頼関係を築ける相手、もし見つ華ったとしたら、ずっと大切にしたいですね。

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2015年02月24日 09:40

126.有限

優しくあたたかい、柔らかいものを傷つけようとする、嫌悪感を向ける対象でしかないものとして。話をしていて、よく出てくるのは、下記のような感じでしょうか。猜疑心が強く、常に相手を服従させる事に、強い執着心を発揮するもの。隠すために、常に虚勢を張るもの。姑息なもの。自身の価値観を押し付けるだけのもの。思い込みでしかない善意というベールを纏い、隙あらば接近を試みるもの。露呈しても、威嚇し取り繕い続けるもの。謙虚さのかけらもないもの。う~ん、こうやってあらためて書きだすと、確かに嫌悪感をいだきますね。でも、そうですね、どうなんでしょうか、なんか極論を言っちゃえば。「誰でも限りある時間を生きているんだから

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2015年02月23日 09:49

125.共に在る為に

◆すき改善の努力をしているもの素直で自然体なもの優しくあたたかい、柔らかなもの純粋・無垢なもの折れないように、精一杯頑張ってるもの痛みや辛さを知っているもの相手の意思を尊重できるものより良くありたいと思っているものより良くある為に、助けを求めているもの謙虚なものいい意味で、自分の気持ちに正直なもの反省して、ちょっと落ち込んじゃうかわいいものそれでも、前を向いて頑張ろうとするもの好きなものと、共に在りたいですね。「きらい」のカテゴリーになるべく出会わないためには、自分が「すき」のカテゴリーに居続けるのがいいんでしょうか。類は友を呼ぶって、そういうこと?

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2015年02月21日 19:21

124.どうかと思う人 その1

買い物に行きました、レジに並んで順番を待っている時。レジが全然進まない。そのレジの先頭には、ものっすごく些細な事で、って言うか自分の落度としか言いようがない事で、店員さんにネチネチ文句言っている人が。店員さんは、にこやかに丁寧に対応されてましたけど・・・。僕は「なんなんだこの虚勢張りまくりオヤジは、レジのお兄ちゃんよく我慢してんな~、いやいや、見上げたもんだ」と、こんなふうに感心してしまいました。たまにいるんですよね、こんなような、ほんとにどうかと思う人。僕は、若い人でこういった人をみかけた事は、一度もありませんが。なんでしょうね~、こういった歪んだ自己顕示欲って大っ嫌いなんですよね、それが自

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2015年02月20日 19:08

123.思い返すと

猜疑心が強く、相手より上に立たないと安心できないもの。善意?? というベールを纏って、すり寄ってくる嫌悪感の塊のようなもの。自立してからというもの、この二つを、最も毛嫌いしています。目の当たりにした瞬間、大きな怒りに突き動かされます。なぜなのか、理由はあるのか、考えてみました。結局、行きつく先は、幼少期の生育環境という事になってしまうんですけど。別に、だからって親を恨んだりとか、そういった事ではなく。普通に一人の人間として、認めていますし。今では、こういった心性を与えてもらったことを、ありがたくすら感じています。仕事柄、必要な資質だと思っているので。まあ、自分を認める事によって、初めて親を認め

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2015年02月20日 09:36

122.屈辱の先にある外傷

あくまでも、好訴的な人ではなく、我慢強い優しい人に関して。ものすごい屈辱を受けたと感じた時。その人の性格にもよるんでしょうけど。じっと我慢したり、他の事で発散したり、そういった事で自然に消えてしまうレベルの屈辱感なら、まだいいんでしょうけど。中には、ちょっとした外傷体験に近い様な、衝撃度の大きいものも、無いとは言い切れません。夜、寝ようと思っても、その事に囚われてしまって、イライラしたり、動悸がしたりで全然寝付けなかったりというような場合もあって。法的な事で、対処できる場合は、そういう方法もあるんですかね。でも、そこまではちょっと、という考え方がほとんどでしょうか。やっぱりこれ、外傷体験の元と

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2015年02月19日 19:24

121.まあ、なかには・・・。

「でもまあ、あの人も良かれと思って・・・」「悪気はないみたいだから・・・」「根はいい人だし・・・」こんなような言葉を、よく耳にします。とくに、気持ちの優しい人から。僕の場合は全力で排除しますが、人によっては状況がそれを許さない場合もあって、自分で抱え込んじゃったりもします。でも、ストレスを感じているのなら、少しでもそれを軽減したいですね。その方法は一般論では語り得ないんじゃないでしょうか。おかれている状況や、性格によって方法はさまざまだと思います。※ふと気が付いたんですけど、なんか、おじさん、キレッキレの本調子に戻ってます。

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2015年02月19日 10:13

120.きれいごとではなく、実感として。

ちょっと違和感を感じて → いっちゃって → 無力感に浸って → 思考停止して → 寄り添われて → 癒されて → 徐々に自分を取り戻すこんなような感じになっていくようです。徐々に自分を取り戻しつつある時に、一つ、何らかのスパイスが必要になるように思います。高揚感や勇気とか怒りとか、そんなような言葉で言い表わされる、気力のようなものでしょうか。元々の資質によって、どれかが選択されるのかな。でも、高揚感や勇気の根っこをたどっていくと、やっぱりちょっとした怒りの成分も含まれていたりする場合もありますね。怒りは、溜め込むと絶対によくないですが、僕の場合はうまく活用すれば大きな推進力になっているように

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2015年02月18日 09:25

119.カウンセラーとしての信条

と、まあ、いつもの調子を取り戻したであろう、このタイミングで。カウンセラーとしての、自分の信条をもう一度確認しておくのもいいのかなと思いまして。1.相談者の状況を理解する為に、信頼できる理論を持ち、常にそれを磨く。2.決して操作的にならないよう、常に自らを律し、現状を改善するにはどうしていったらいいのかを、一緒に考える。3.100%の信頼関係を築くために、必要であれば自己開示を惜しまない。4.3に関連して、相談者が全てをさらけ出す以上、自分も嘘偽りなく全てをさらけ出す用意を常にしておく。5.特定の宗教・思想には立たず、無神論をつらぬき、あくまでも理論に基づいて現実的な問題に一緒に取り組む。6.

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