記事のアーカイブ
2015年01月10日 09:39
夢を実現するには、夢のままにしておくのではなく、それを具体的な目標に変えて、できることからひとつづつ、着実に・・・・。という事なんでしょうね、たぶん。悲しくなるくらいに。そうしなくては、夢なんかかなわないと。そうやって夢を掴んでゆく、一握りの人っていらっしゃいますし。無条件に、尊敬します。そして、見ているこちらも、大きな勇気をその人からもらいます。しかし、もう一方にも、すごく魅力的な人達がいます。「僕の夢は~」「私の夢はねえ~」キラキラと輝きながら、話しだす人たちです。例えそれが、現実的に考えて、突拍子のない、本当に夢としか言いようがない、ものだったとしても。その夢は、その人の精神の奥の方にあ
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2015年01月10日 09:35
「もっとたんと食べな」祖母の口癖だったんですけど、30才代位までは、それを言われても何とも思わず「じゃあ、おかわり」なんて言ってたんですね。でもこれ僕が40才過ぎても相変わらず口癖のように言うもんだから・・・。「そんなに食べれないって、もう育ちざかりじゃないんだから」って笑いながら言ったりしてました。でもそうすると、祖母はちょっと寂しそうな顔をしたりして。やっぱり、食べ物のない時代を辛抱して過ごしてきた人にとっては、おなかいっぱい食べられるという事は、すごく幸せな事に感じるんでしょうね。そして、人にもおなか一杯食べさせてやりたいという。もちろん誰が何と言おうと、昔の日本より、今の成熟した社会の
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2015年01月09日 10:53
子供のような言動をとる人に、どうしても魅力を感じてしまいます。同性・異性共に、という事ですが。もちろん、普段は大人の対応をとれる常識を伴った人、という前提の上で。なんか、年を取れば取るほどに、理性ばっかりじゃつまんないと思うようになってきたんですかね。突拍子もない感じとか、先の読めない感じとか。なんか、そういうのっていいなあ、と思います。何なんでしょうか?ほんとは、先が見えちゃっている事に、気が付いていて、その事を否認したいんでしょうか。そういう人たちと一緒にいると、知らず知らずのうちに、その人のペースに飲み込まれて、自分もその人と同じように、子供みたいな言動をとっていて。そして、その事に気が
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2015年01月09日 10:52
ピコピコハンマーを書いている時に、何となく海賊危機一髪に思いが及んだんですね。あの、樽みたいなやつの中に海賊が入っていて、ナイフみたいのを刺して、海賊が飛ばなければセーフ、飛んじゃったらアウトみたいなやつ。あれって、なんか人がキレる時に、感じが似ているような。海賊が飛んじゃう時が、人が解離してキレる時、みたいな感じで。コミュニケーションの中で耐えて、耐えて、そしてまた耐えて。しかし、どうしても触れられたくない、地雷の様なものがあって。そこは、耐えている本人としては「今我慢してるんだから、絶対ここには触れないでね」と、一生懸命念じているにもかかわらず。無遠慮な一言が、その地雷原を直撃して。その瞬
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2015年01月08日 09:09
これ、まだ自分でも、あんまりうまく整理できてないんですけど。自分が、こうありたいという唯一の場所があったとして。その場所以外の、他の場所に、必要に迫られて、一時的に赴かなければならない時。非常に、心的緊張度が高まる、といった経験をする事が、多々あります。自分が生きている事を証すために、やむを得ない事だと、意識の部分では理解していたとしても、もう、どうしようもない位に。でも、だからと言って、その心的緊張を経験する事に嫌悪感を抱いているのかというと、決してそういう訳ではなく。唯一の場所に戻る為に、そしてそこに戻れることに、感謝の気持ちと安堵感を伴わせるために、必要な事である。と納得しているような、
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2015年01月08日 09:05
昔、ちょっと経験あったんですけど。正月が開けて、世の中があわただしく動き出し。なぜか、そこでほっと一息、安心感を得る。自分が、ちょっと後ろめたさや、罪悪感を伴った、問題を抱えている場合。正月、周りの人たちが、周囲を見渡す余裕があると感じた瞬間。「う~、こっち向くな。そして、気が付くな~っ。放っておいてくれ~。」といった感じで、ず~っと息をころしていて。それでも話が、自分の問題に及びそうになると、全力で話をそらせたりして。そして、なんとか正月が明け、みんなが自分の事で精一杯になった事を確認して、安堵感に浸ると。やっぱり、自分でもなんとかしなきゃいけない事は判っていても、今だけはそっとしておいてほ
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2015年01月07日 09:25
ないものを、あるとみなして、自分を操作する。暗示みたいなものでしょうか?どうなんでしょうかね?なんか、あんまり好きじゃないですけど。ないものを、あると、心の底から思えるのなら、それはもう、ない事ではなく、その人にとっては、ある事なんでしょうから。それはそれで、いいんでしょうね。敢えて、「心」なんて言ってみましたが。でも、もし、その「心」の底からは思えなくて。ほんの少しでも、疑いの気持ちがあったのなら。そして、その気持ちを、無理に抑えて、あると見なそうと努力したとしたら。そんな時は、片時も緊張感から逃れる事は、できませんね。フッと肩の力を抜いてしまった瞬間に、不覚にも、疑念が襲い掛かってくるから
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2015年01月07日 09:22
僕の感覚では「ばっかじゃないの」は褒め言葉の一つ、という認識なんで。あえて、これを言われたいが為に、バカなことをやったりする事もあるんですが。でもこれ、人によって「ばか」と言われた時の感じ方は全然違うようで。うちにも、一人いるんですけど。僕としては、なんか面白くて、称賛の意味で「あはは、ばっかじゃないの」といったにもかかわらず。「ばかってゆうな~、う~っ、ばかってゆうなよ~、バカって言ったら、おまえがばかなんだぞっ」と、本気で涙目で訴えてくる人がいます。・・・人それぞれ、とらえ方が全然違うんですね。僕は、敢えて人と違う事をやって、多くの場合コケて、それを見た人から「ばかだね~」と言われるという
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2015年01月06日 09:19
気に入っている理由を、うまく言葉で説明できないものに囲まれている心地よさ。とでも言ったらいいのでしょうか。何かを選択する時、使い勝手であったり、好みであったり、味であったり。そういった事を吟味して、多くのものの中から、ひとつのものを選択する。理性的な選択、まあ、当然ですよね。しかし、そういった選択方法ではなく、何かを選択する時に、多くのものを、眺めている時に、強度を伴って、自分に侵入してくるもの、といったらいいでしょうか。そういったものに、出会う事があります。そうなると、もう自分には、それが唯一のもののように感じて。結局、それが、他と比べて劣っているものであったとしても、もうそれしか考えられず
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2015年01月06日 09:14
想いのたけを吐きだす。僕の経験でしかありませんが自分でやる場合、ある程度までは、いいと思うんです。でも、何度も繰り返しやって、勢いがついてくると。自分でも、思ってもいなかった、意外な事が出てきたりして。それが、いい事であれば、新たな自分を発見、みたいな事で済むと思うんですが。もし、そうでなかった場合。ちょっと、戸惑う事になります。やっぱり、人って、陽性の感情ばかりでなく、それを上回る位の、陰性の感情をたくさん持っていると思いますので。それを吐きだす事で、精神の浄化作用を得られる場合もあるでしょうが、反対に、ふいに出てきてしまった陰性の感情に困惑し、囚われるようになる事も、僕の場合は、少なからず
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