記事のアーカイブ
2014年12月31日 08:55
来年の、というか、今後の理想、もしくは目指すものとして。生きていくとは、知らず知らずのうちに、多くのものを背負って歩いていくようなもんだ。なんて事を、年長者から言われたことがありますが・・・。長年生きてきたにも関わらず、背負っているものが見当たらない。たぶん、なにか新たなものを背負うたびに、それ以前に背負っていたものを、捨ててきたんではないでしょうか。しかし、腑に落ちないのは、背負っているものが見当たらないと認識しているのは、どういう事でしょう?何かを背負う代わりに、何かを捨て続けるのならば、今、何か一つは背負っていなければ、いけないと思うんですが。これは、思うに、何かを背負っているように感じ
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2014年12月31日 08:50
大晦日。あわただしいです。いや、僕がじゃなくて、周りの家族の皆さんが。僕はというと、家の掃除や片づけは、もう済んでいるので、仕事以外ではぼ~っとしながら、一応空気読んで、時間が空いたら運転手やったり、声をかけたりしているんですが。なんというか、みなさんがテンパらないように、気を配ってる。といった感じでしょうか。何に急き立てられているのか、判りませんが・・・、きっと目に見えない何かに急き立てられていて。年が変わる前に、やる事をやっちゃわないと、落ち着いて新年を迎えられない。という事なんでしょうね、当たり前の事かもしれませんが。あわただしく、買い物やおせちの用意をして、いつもの倍くらいの速さで時間
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2014年12月30日 09:03
10年くらい前に買って、何度も読もうとして、そのたびに挫折して、またいつかと思って、本棚にしまいっぱなしにしていた本を、先日遂に読むことを諦めブックオフに持って行きました。19世紀に書かれたロートレアモン伯爵のマルドロールの歌。いつも、本棚にある事が、気になっていて、5~6回でしょうか、意を決して、読みだすんですけど。どうしても自分には合わなくて、というか耐えられなくて、途中で本を閉じてしまうんですね。退屈な本や、ナンセンスな本であれば、べつに飛ばし読みしたって、最後まで読むことはできると思うんです。でも、どうしてもこの本だけは、いけません。なんというか、破壊衝動というか、陰性の感情に、あまり
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2014年12月28日 09:29
仕事納めをして、年末年始の休暇に入り、家の大掃除。こういった方々にとっては、一年のうちで一番ほっとできる時でしょうか。そうではない、年末年始も仕事の方は、お疲れ様です。年末年始の休暇って、お盆やゴールデンウイークよりも、なんというか、素の自分に戻れるような気がします。僕はサラリーマンだった頃、そんな風に感じました。なぜでしょうかね?僕が感じたのは、拘束を解かれたような、無礼講で自由にしていいと保障されたような、何かやらかしても少しは多めにみてもらえるような予感、といったところでしょうか。年末年始は仕事の事は、ほとんど考えなかったんじゃないかなと思います。これは何故かというと、多分、会社から「そ
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2014年12月28日 09:19
今年見た初夢を思い出して「あっ」と思ったんですけど。どういう夢だったか、というと。 長年乗っていた車を売る事にして、駐車場で買取業者さんと話していて。その後、車を持って行ってもらって。そうなると、当然駐車場には、もちろん車はなくて、空いているはずなんですけど。なぜかそこに、白色の使い込んだ感じの軽自動車が止まっていて。 僕は、なにも疑問に思わずに、その軽自動車に乗り込んで、気分よく出かける。・・・・・と。え~とですね。 現在、僕は、以前乗っていた車(日産テラノ)を買取業者さんに持って行ってもらって、代わりに知り合いが探してきてくれた8年落ちの白い軽自動車(ホンダラ
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2014年12月27日 08:58
以前の仕事の時、読みあさりました。即効性を求めて。1990年代の後半から2000年くらいにかけて、成功者と言われるひとの、自叙伝みたいなものが、多数出版されて。自己啓発的な内容の本も、結構あったと思いますが。たぶんこれは、僕自身が、自分の能力を超えた立場に、置かれて、即効性を求めて、慌てて足りない部分を補おうとしていたんでしょう。割と、成功者の自叙伝がブームだった事もあり、50冊くらいは読んだんじゃないでしょうか。読んだすぐ後は、その成功者の考え方を、自分の中に取り込めたような気がして、一瞬の高揚感はあったように思います。「よし、なるほど、そういう考え方でやればいいんだ」なんて思って、自分の置
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2014年12月27日 08:50
周囲が楽しんでいるとき。一緒にそこにいるんだけど、みんなに合わせて、一緒に笑っているんだけど。何となく、笑えば笑うほど、自分じゃなくなって、さめていくような。ごくまれに、そんなふうに感じてしまう時があります。誰にも言っていない、気がかりなことが、他にある時。いつもは、平気なんだけど、その日に限って、何となくキャラを演じたくないような気分の時。もっと大事なことに、意識がいっていて「こんなとこでヘラヘラしている場合じゃないんだ」と思っている時。周囲で話している話題が、自分に合わないと感じている時。盛り上げ役の、その他大勢に徹しなくてはいけない時。冷笑主義に片足突っ込んでいる時。こんなような時って、
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2014年12月26日 09:18
20代の時、営業職についていた時なんですけど。上司の方で、その頃50歳代後半位だったと思うんですけど。シニシズム(冷笑主義)って言うんでしょうか。会社での、年末の大掃除も終わり、仕事納めの日。社長のあいさつの後「さあ、おつかれさん。今日はぱーっと行こうか」なんてみんなが言ってると。「いや、おれはいいですよ。皆さんでどうぞ」みたいな事を、その人は言いだして。で、その人以外のみんなは、他の方たちと一緒に飲みに行ったんですけど。何故か僕は、妙にその人になついていまして、その人が一人で帰ろうとしている所を、無理やり誘って「飯食いに行きましょうよ、まだ帰んなくたっていいじゃないっすか」みたいな事を言って
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2014年12月26日 09:12
外を歩いていたら、もう大掃除されてる方、いらっしゃるんですね。確かに、クリスマス過ぎると、もうあっという間ですもんね。やらなくちゃいけないんでしょうね、素晴らしい計画性です。そして、僕はというと。もう、全く大掃除なんかやりたくない、というか。なんか、やりだしちゃったとたんに、今年を終わらせなきゃいけないような気がして。できることなら、ぎりぎりまでごまかしていたい。と、いうような感情に囚われています。大掃除して、年が変わる準備を始めると、なんとなく、なんか、新たな気持ちになれと、自分の中のだれかから、迫られるような予感がして、ほんとはやらなくちゃいけないんでしょうけど、その事を、拒絶しているみた
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2014年12月25日 09:05
やさしい人、いつもにこにこしている人、イヤと言わずなんでも受け入れてくれる人。社会の中で、人間関係を円滑に進めていく上で、なくてはならない、重要な人たちですね。でも、本人にしてみると、これは本当の自分じゃないと感じていて、なんていうか、与えられた役割を演じているに過ぎないと、感じている場合もあって。でも、自分の置かれている環境から受け入れられる為には、そうするのがいいと考えているのかもしれなくて。人には見せないけど、ちょっと苦しい思いをしている場合もあるのかなと。そういう状況だと、一人になった時に、ふっと色々考えてしまいますね。少しづつ、本当の自分と感じているものに、近づけていければいいんでし
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