神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2021年06月03日 10:09

見た目

この人は○○さん、そしてこの人は〇〇さん、何度か会っていれば一目見れば分かる、これは何によって判断しているのか多くの場合、視覚によって、要は見た目によって。目鼻口輪郭そして全体的容姿、こういう要素でその人が誰なのか判断できる、全く同じ容姿の人というのは不思議な事にいない、人それぞれ微妙に違っている。これは勿論、自分が産まれ出る前に、自らの意思でその容姿をデザインした訳ではない・・・・・・・・・自分の意思の及ばぬところで偶然に割り当てられた。であれば・・・・・・・・・・・と、ここから様々な文脈で思案を分岐し延長することが出来ますね。

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2021年06月02日 20:03

クロニクル

静寂の小宇宙の中で、ある一つの経験に囚われる。それは自らのクロニクルの一つでかない訳だけれど、静寂の中で囚われる効果として近視眼的妄想分裂態勢に陥り、その唯一以外の多くの経験、それは本来は間違いなく自分の経験なのだけれど、それら全てが遠く背景に退いてしまう、という強度を伴った前景化。囚われた想いが例えポジティブであったとしても、人は、そう、よほどのパラノイアでもない限り、たしかに、ポジティブは容易くネガティブに反転してしまう。自我に対してなんの刺激の入力もない中での妄想分裂態勢的な在り方、ネガティブはいくらでも暴走し、まるでそれだけがクロニクルの全てであるかのような錯覚を。

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2021年06月01日 09:12

冗長性

最近聞く事の多くなった言葉、レジリエンス、心理学的にもある程度定義されていて、そのワードを声高に叫ぶ方もいらっしゃる、が、こんなのは放っておけばよい、そこで発信されているメッセージというのは唯一「自分は頭がいい」という事でしかないのだから。冗長性、心理学よりはどちらかというとシステム論によせて考えた方がいいように思います。システムには命題があって、そして勿論それは恒常性と共に、そのシステムが唯一の、ただ一つの概念でしか動作しなかった場合にはちょっとしたきっかけで容易く破綻してしまう。だから、最も大切なのは命題を遂行し続け、そのシステムを存続させる事なのだら、複数の概念をあらかじめ用意しておく事

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2021年05月31日 10:14

最初に・・・・・・・。

よく分かりませんが、職場で誰かが新型コロナに感染して、その人が全く無症状だったとする、そうなるとその人には自覚がない訳だから、毎日当たり前の事として出勤してくる。そしてその人と日常的に接している複数人がもしその人から感染したとして、その感染した人達が発熱したり、ある程度症状を発したとして、当然そこには個体差があって発症のタイミングが数十時間違っていたりするのでしょうか。...

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2021年05月30日 16:28

ナルシシズム

人は、想像力の欠如によって結婚して、忍耐力の欠如によって離婚をし、記憶力の欠如によって再婚する、というシニカルな物言いを聞いた事があります。まあその通りなのかもしれませんね理性による審級では、ただ僕らは理性的に生きているだけではそうしても、あまり面白くないというか、理性の領野に醍醐味は存在していないかのように思え、醍醐味、人間らしさ、これは感情の領野での事。全ての判断のベースとなるのはやはり、ナルシシズム。

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2021年05月29日 09:38

拡散 集約

拡散した思考で生きてゆく、というより漠然とした思考と言った方がいいのかもしれませんが、拡散ではなく集約、意識を一本化して生きるというより、ああ、だから意識ではなく思考なのですが、思考を集約して生きてゆくという事なのか、どうなのか、自分でも今一つはっきりしません、というよりこれは自らのスタイルの否定みたいな事を言おうとしているのかもしれないから、だから非常に歯切れが悪いのだと思います。宇宙戦艦大和で言えば拡散波動砲ではなく普通の波動砲、しっかりとロックオンして見据えるべき場所を見据えて生きてゆく。開いた瞳孔で目に入る多くの幅を認識しながら歩けばその道すがらでで様々なものに出会えるのだと思います、

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2021年05月28日 17:16

逃げ出す

他人を自分の思い通りに動かそうとしたり、自分の都合だけで自分の好きなように扱おうとしたり、これは本質的な自信のなさを強固な自己愛で覆っているからこその態度なのかもしれませんね。男性的なふりをしている人が男性に対して、構築済みの力関係の中でとか、女性が男性に対して自らの性を経由してとか、この二つがよく見受けられるように思います。それを差し向けられた人は、要はターゲットにされた人は、相手の心性を何とかしてあげよう、いつかは気がついてくれるはず、などと言う自己犠牲は発揮しない方がいい、それは無理な事ですから。関わらない、スルーする、撃退する、色々な選択がありますが、スルーしようとしてもこれは困った事

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2021年05月27日 09:53

自覚的であれば

沢山の種類が設定されている人格障害の概念、これは性格の延長線上で行きすぎて社会に適応するのが困難になった場合に当て嵌める為のものという意味合いもない事もないですね、勿論そのほうが法や医療にとっても便利ですし。誰だって一人で空想に耽っていたい時もあるし、魔法的な奇跡を本気で望むこともある、誰かにべったり甘えて頼らないと自分を保てない危機的状況に陥る事だってある、時には人前でキョドる事だってある、我慢して我慢してその先でアクティングアウトする場合だって決してないとは言い切れないし思わず自分を傷つけたい衝動に駆られる事だってある、ヒステリックに人を追い込んで責め立ててしまう事だってあるかもしれない、

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2021年05月26日 19:09

大切に思う

自分と関わってくれている人達を大切に思う、自分を大切にするのと同じようにその人達を大切にする、この構造の原因となるのは適切な自己愛に他ならない訳ですが、この、適切というのがなかなか難しいように思います。一見、同じような表象に見えたとしても、それが実は依存である場合もあるし、共感能力のあまりの高さからくる自己犠牲である場合もある、これらは勿論心的組織の欠損からくるのでしょうけれど、大切に思われている相手にしてみるとかなり窮屈でもある。冒頭の構造を理性によって表象する事も可能だけれど、ただ、理性的であるというのは自分にかなりの余裕がなければ難しい、だからストレス下では容易く破綻崩壊してしまうのです

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2021年05月25日 15:43

男とは?

僕ら男は突き詰めれば、どのような自分でいる時が一番気分がいいのか、そのようにある自分に納得がゆくのか、快を行為している時、趣味に没頭している時、勝負に勝った時・・・・・・・・こういうのは、その場では、その瞬間は楽しい、というのは気分がいい、しかしこういうのはあまり「自分は男である」という満足それも、自己満足というのは殆ど得られないという現実、男という事を実感できるのがやはり一番気分がいいのですからね。では、どのような時に「自分は男である」という満足を感覚する事が出来るのかというとそれはやはり、美学に酔いしれている時、要は僕らは自己満足とか自己陶酔とか、そういう時に大きな満足を得るように思います

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