記事のアーカイブ
2021年05月13日 13:53
もともと花粉の時期にはしていたマスク、だからある程度は身近なものだったのですが、その頃は季節的なものであり、緊急避難的なものであったから、それほそ性能や使用感や見た目というのは気にしていなかった。しかし新型コロナウイルスが世界中に蔓延して既に一年以上が経過し、外出の度にマスクをする日常、生活必需品であり日常品に格上げされた感染予防の目的としてのマスク。ウレタンマスク、高性能布マスク、不織布マスク、当初予想したほど奇抜なものやファッショナブルなものというのは登場していないようにも思います。どういうタイプのマスクが最もスマートなのか、これは人それぞれの感覚によるのでしょうが、やはり不織布マスク、白
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2021年05月12日 11:18
厚みを感じさせてくれる人、薄っぺらい人。自分の考えを、自分の想いを、自分の言葉でしゃべろうとする人に対しては厚みを感じる。常套句や教科書的受け売りを流暢にしゃべる人に対しては薄さを感じる。何故、常套句やテキストに記述されているような言葉ばかりをしゃべれるのか、恥ずかしけげもなくテキストをコピーし続ける事ができるのか。たぶん、そうする事しかできないという事態そのものが、薄さの原因なのでしょうが・・・・それはナルシシズムを守る為でもあり、自分の考えを述べる事によって人から採点評価されてしまうという恐怖を避けるためでもあり。自分の考えが否定されて傷つく可能性に想いが及んで恐怖心が芽生えた結果であると
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2021年05月11日 10:43
「母に想いを馳せる」に対して「父に想いを馳せる」これは実際の母や父というよりは象徴的な母や父に近いニュアンスとして。どうしてもこの、母に想いを馳せるという不気味さ、多分これは退行のようなイメージをその態度に感じてしまうからなのだと思います、癒されたい、温もりを感じたい、優しく抱擁されたい、赤ちゃん返り。父に想いを馳せる、勿論、象徴的父という事ですが、その、父に想いを馳せる時自分は何を求めているのか、突き詰めればそれは同一化なのだともいます、強くなろうとしている、力、秩序、強さ、威厳、尊厳、法、行きつく先はオーギュストのイメージになると思うのですが。同一化したいものというのは究極的愛の対象、と考
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2021年05月10日 18:51
不言実行、昔よく父が不言実行の美学を語っていた、僕も何となくですが父の言う事なので、まあそうなのだろうなと未熟な頃には思っていたのですが、さまざまに経験してきた今、この父の物言いには一抹の違和感を覚え、ディスアグリーと唱えるしかない。不言実行を宣言する時そこに、あからさまな逃げ道を見出す事だってできる。なにか人から感謝される事だったり、称賛に値する事を物事の流れの中で何となく成せてしまった場合、そこで自分の小さな功績をさりげなく主張する、不言実行という美名の下で。そんな実力の伴わない幼児的発想よりやはり、有言実行の優位性、宣言し、自分を規定し時には追い込み、最大限の努力の賜物として、しかし余裕
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2021年05月09日 19:06
息子にとって、自立する以前の自分と母親との関係というのが良好だった場合、逆にそうでもなかった場合。どちらにしても自立後、自分にとってどういうものが理想的な関係だったのかを考える中で、自分のパートナー、彼女とか奥さんが出来た時に、適切に優しく接し守ってゆけばいい、母親を通じて満たされなかった想いがあったとしても、それは自分が大切に思う女性を通じていくらでも修正可能、自分の大切な人を守ってゆく中で修正可能なのでしょう。僕は逆に、息子と父親の関係の方が、もしそこに何かがあったとしても、自立後に修正が可能なのかというと、少しだけこれは、厄介なように思います。自立して社会に出てから、父親の代わりになる人
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2021年05月08日 09:50
今を楽しむには、目の前にある一つごとのタスクに意識を100%集中して、その行為を自分の元に引き寄せて、その時に感情も全力で伴いながら、喜んだり楽しんだり苦しんだり、そして最終的にその行為が完結した時、満足感や達成感を得る、という事を続ける。今を楽しむ、楽しむには感情が不可欠、目の前の行為に感情ごと100%没入し続ける・・・・・・・・という事を続けていると、疲れる。確かに、人はMAXの感情を発動し続ける事はできないのだから、一つのタスクが終了した時点で、それまで今を楽しむためにMAXまで高ぶっていた感情をクールダウンさせるのでしょうけれど、自然にクールダウンするというのは結構難しい事のように思い
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2021年05月07日 19:56
自分であろうとした時、その自分は全ての人に受け入れられる訳ではない。全ての人に受け入れられたいと思った時、自分を不在にして、もしくは自分の内奥から湧き上がってくる想いには目を瞑って、要求に期待に応じ、又はウケのいい言葉や態度で、自分の分身を操作し・・・・・・とか書いてしまうと、これはこれで何か凄い能力のようにも思いますけど。ただ、人から見て魅力的に映り続ける努力は、一瞬たりとも怠る訳にはいかないのかもしれません。相手の気分の変化を先読みして、タイミングよく随時必要物を提供してくれる人、確かに接していていい気分にさせてもらえますね。ただこれは、相手を気分良くさせる存在というだけの事でしかなくて、
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2021年05月04日 09:51
説得力、それは語る人の力量にある程度以上は依存するのだろうけれど、誰にでもできそうなのは、と考えた時やはり肝心なのは事実確認的な文脈から決して逸脱しないように心掛ける事なのかなと思います。客観的な事実を並べ立てて、それなりには聞く者を追い込みつつ、最後にジワッとパフォーマティブに振る。論理的な整然とした非の打ち所のない語りには、納得せざるをえないとしても、やはり聞く者に一抹の違和感もしくは嫌悪感をいだかせてしまう、自分は無知ではないと衝動的に抵抗したくもなってしまう、たとえ納得せざるをえない事実だとしても、どうしても追い込まれているように感じてしまう、本当は素直に納得した方がいいのだろうなとい
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2021年05月03日 18:05
浅い人会話や態度の中で常に、一つのメッセージを発信し続けている人というのがいる。自分はちゃんとやってますというメッセージを発信し続けている人、自分はあなたより凄いというメッセージを発信し続けている人、あなたの事が大好きですというメッセージを発信し続けている人、私は敵が多くてこんなに大変ですというメッセージを発信し続けている人、私は満身創痍で頑張っていますというメッセージを発信し続けている人。その人がどのような言葉を口にしたとしても、それはただ一つのメッセージに集約されてしまう浅い人。
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2021年04月30日 19:02
食べないという主張摂食障害、拒食症、というより神経性無食欲症、よく思春期に思い悩みまたは閃き、自分なりの想像界においての身体イメージにより近づく為に・・・・・・・・みたいな押し付け解釈をされる事もありますけれど、そういう流れだけが正当という訳ではないように実感しています。愛情の拒絶、自分をどこまでも遡ってゆくと、赤ん坊の自分、乳幼児の自分に突き当たる、その乳幼児期の自分は、自分の口というものをどのように利用していたか、泣き声で何らかのメッセージを送り続ける口、笑い声を奏でる口、母親の乳房に接続され乳汁を摂取する口、口というのは遡ればこれらの行為に利用されるツールだった。大人になった今、摂食行為
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