神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2021年03月30日 09:40

郵便的なものの効果

顔を合わせて話しているとお互い気分が悪くなってしまったり喧嘩になってしまったり、ただしそうなるまでは、怒鳴りそうになるまでは、もういいっと言いそうになる直前までは会話が途絶えない、提出し合う言語の洪水の中にその二者は溺れている。もしくは、コミュニケーションが終了して一人になった時、考える、あれはどういう意味だったのだろうかとか、自分の発言を思い返して、あれはちゃんと伝わっただろうかとか、あの言い方でよかったのだろうかとか。これらの状況の時、お互いを行き交っている言語はなんなのか・・・・・・なんなのかと言うより、お互いは何を伝え合おうとしているのかというと、お互い唯一のメッセージを伝え合おうとし

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2021年03月29日 13:03

怒りをコントロールする?

人から何か言われてもしくは何かされて、肚が立つ事とか怒る事とか、特に会社勤めの中での場合が多いとは思いますが。何故腹が立つのか、怒りの感情が湧き上がってくるのか、それはプライドに抵触するから、プライドが傷つく、肚が立つ、相手に怒りを向ける。仕返ししてぎゃふんと言わせて自身のプライドを保つという方法、自分より愚かで小さなものを容認し笑顔を向けるという方法。愚かなものを懲らしめる、愚かなものを受容する、どちらも自分のプライドを保つ効果はありますね。腹の立つ事をされた時それは、自分がより大きくなるチャンスなのか。怒りなどというものは、どんなにコントロールしようとしても決して消え去りませんから・・・・

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2021年03月27日 09:36

愛される条件

愛されるための条件の第一は従順な事ではない、自分を主張する事であり相手が作りだした流れに抗う事。従順である事は所有される為の条件でしかなくて、そこには尊重は存在しようがないのですから。思い通りにならないものは、知りたくなる、知りたくなる時その人の個が鮮明な輪郭を伴い立ち現れてくる、貴重な個として知ろうとする時それは、リスペクトが介在し始める時。

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2021年03月26日 13:32

痩せ我慢

全くもって主観でしかないし私見でしかないのだけれど、ある程度年齢のいった男性に話した時にはアグリーと言ってもらえることも多いし、それなりにテーゼとしても機能する。僕らは年齢を重ねれば重ねるほど、いやそんな綺麗な言葉でポエムを纏う必要はないか・・・・・・・だから歳をとってくると、そう、歳をとると性愛の文脈は二の次三の次に成り下がる、それに取って変わるように浮上してくる想いは、頼られたいとか、守りたいとか、安心させたいとか、要は、誰かの居場所でありたいという想い、自分が居る事によって、それは多くの場合精神的にという事ですが、だから精神的支柱、拠り所、そんなようなものに成り上がれる事を望む、誰かを守

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2021年03月25日 11:41

郵便的なものの効果

顔を合わせて話しているとお互い気分が悪くなってしまったり喧嘩になってしまったり、ただしそうなるまでは、怒鳴りそうになるまでは、もういいっと言いそうになる直前までは会話が途絶えない、提出し合う言語の洪水の中にその二者は溺れている。もしくは、コミュニケーションが終了して一人になった時、考える、あれはどういう意味だったのだろうかとか、自分の発言を思い返して、あれはちゃんと伝わっただろうかとか、あの言い方でよかったのだろうかとか。これらの状況の時、お互いを行き交っている言語はなんなのか・・・・・・なんなのかと言うより、お互いは何を伝え合おうとしているのかというと、お互い唯一のメッセージを伝え合おうとし

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2021年03月24日 13:20

おにぎりの精神分析

昔、知り合いの社長、奥さんの握ったおにぎりしか食べない、いやおにぎりだけではなく素手で作る料理に関して、奥さんの素手に拠るものしか食べないという人がいましたが、これは、この人は完全に潔癖症的な人だったので、その病理からきている症状として。おにぎり、素手で握る、これは文脈を変えて書いた方が面白いと思いますので、精神分析的に書いてみると・・・・・・・しかし精神分析に寄せて書くという事はどうしてもセクシャリティをえぐる事になってしまう、それに嫌悪感をいだく人と、そうではなく納得を得る人、これは両極端に分断される、ただ、僕は誰がなんと言おうと心理に最も接近できるのは精神分析それも、ラカン的精神分析だと

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2021年03月23日 12:21

澱んではいけない

水、水、水、物心のついた頃から自分に執拗に付いてまわる水のイメージ、何かの小説で脳の事を水の通う回路と表現していたり、身体の事を水の入った袋と表現していたりして、これにはなるほどと思いました。ただここでは、それは措いておいて、男児の頃は優しく遊んでくれた近所の芸者さんや住んでいた家の裏手のお姉さんに水を感じていたし、中学生以降に特に親しくさせてもらった異性にも水を感じていた、その誰もが切れ長の目元、色白、ほっそりしている、という自分の中での静岡のイメージの女性、その後水を感じて衝撃を受けたのは資生堂のシャワーコロン、あの匂いは水のイメージにピッタリだった。学生の頃まではそういった水のイメージに

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2020年12月14日 10:34

自分は造られる

自分が関わっている人、誰でもいいですけれど、その人を想い起こす時には多分、シンボルとして何らかのビジュアルがある程度は輪郭を伴って鮮明に浮かび上がるこれは、その人を象徴する何らかという意味で。そしてその象徴としてのヴィジョンはすぐさま、なんでしょうか、きっとイコンにスライドしていってしまう、有るのか無いのか分からない薄ぼんやりとした分岐の数々。でもまあきっと、シンボルもイコンもどちらも多分、幻想でしかない、そうは思いたくはないけれど全ては自分が造り上げた、それは自己都合によって自動的に作り上げられた幻想。人を客観的に、事実確認的に語る事などは出来ないように思え、それは人が人を語るという、メタ人

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2020年12月06日 11:20

心というのは・・・・

心、心というのは相変わらず、一向に、掴みどころのない、本当にあるのかどうかすら分からない僕らの思考が創造した幻想しかし、自分を語る上で最も大切な不確定物。神の不在が暴かれて、その場所が無意識に取って代わった、そして時を同じくして心というものが明確に設定されたようにも思えます。無意識というのは間違いなく、あって当たり前のもの、ただこの無意識というのは、今この瞬間に思いだしていない事、というのは今この瞬間に意識され言語化されていないもの全てを収納している、いや収納というより自分の重力に引きつけられ続けている、これは地球に引き付けられている空気と同じような構造、今までの自分の全ての経験が言語として混

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2020年09月16日 19:33

欲望の際限のなさ

回り道ばかりしているように感じるというのは。一点を見据えて、そこにわき目もふらずに一途に突き進むという生き方、それに対して、流れの中で選択を繰り返し続ける(そこでは時には何も選択しないという選択も含めて)という生き方。生き方の違いというのはやはりあって、一点を見据えているのであれば回り道はしようがない、試行錯誤は当然あるにしても。流れの中で選択を繰り返すという生き方、これは自分の潜在性を楽しもうとする生き方であるとも言い換えられるのかもしれないですけれど。流れの中で選択を繰り返すという生き方の場合、回り道をしているように感じるのか、でもそれは何に対しての回り道なのか、回り道と表現するのであれば

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