記事のアーカイブ
2020年07月26日 10:22
それはパラノイアックな、そして倒錯的に膨張した言ってみれば多少は病的な自己愛の賜物なのでしょうけれど、自分が置かれている環境でそれなりに潜在性が刺激されて環境からの期待に沿う自分。ただその自分に、というのは意味を与えられた自分というものに満足を感じて、自己愛が満たされ、その場所にずっと居続けたいと思うかというと、なかなかそうもいかないのだと思います。それは自分の潜在性を盲目的に確信していればしているほど、その潜在性のたった一つの能力だけしか目覚めさせていない自分、他にももっと色々な事が自分は出来るのではないかという想いが湧き上がり、衝動的に環境から逃走しようとする、自分に与えられた意味を、自分
—————
2020年07月09日 10:14
弱い犬ほどよく吠えると言われるけれど、あれは例えとしてはどうなのか、弱ければ吠えないような気もするし、もしかしたら決して目立たないように大人しくジッとしているんじゃないかとも思う。ああ、これは弱さを自覚している場合かな、自分の弱さに本当は気が付いているにもかかわらずそれを否認しているという状態の時に、よく吠えるんじゃないでしょうか。なぜ吠えるのか、暴かれないようにけん制する為、弱さがバレないように突っ込まれないように、常に虚勢を張りけん制し続ける。弱くないヤツなんかいるのか? と、この歳になると本気で思います、弱さを認めて、その上で自分にできる200%の事をして・・・・・・・・多分、強い人とい
—————
2020年07月05日 10:21
煌めきの向こう側の漆黒、ホワイトホールの向こう側のブラックホール、エロースの向こう側のタナトス、欲望機械の向こう側に横たわる器官無き身体・・・・・・・希望の向こう側でひっそりと息づく絶望。道程で煌めきに出会う、それがただの煌めきでしかなかったら、ちょっと怖くもあり、なかなかそこに向かって突き進んでゆこうとは思えない、ちょっと腰が引けるしその場所に行き着いたら自分がどうなってしまうのか、怖くもある、変わる事は誰だって怖いですから。しかし、煌めきの向こう側に漆黒を確認する事が出来れは、僕らは歩き始める事が出来る、変わったその先でまた元に戻る事が出来る保証を得られたように感じて、歩き始める事が出来る
—————
2020年06月14日 10:43
身体的性差としての男女のどちらにも母性的な人と父性的な人というのはいる、母性や父性と男女というのは関係なく、母性的な男性もいるし父性的な女性もいる。母性的な人には甘えたくなるというのが普通ではあるけれど、時々いる、その人が母性的であるにもかかわらず、こちらが甘えたいという想いをいだくのではなく、庇護したいという衝動が芽生えてしまう不思議な人。母性的である事の動機が、その人が沢山の辛い経験をして、悲しみとは何かという事を知っている人なのだと思います。
—————
2020年06月02日 09:53
ただの宣伝文句なのかもしれないですけれど、今、明智光秀にスポットがあたっているとかどうとか。戦国武将の一番人気はいつの時代も織田信長がテッパンだと思うのですが、これは境界例的アクティングアウトとして描かれそれが人々を惹きつける戦略的そして間違いなくこの描写はシミュラークルであるように思えますが。明智光秀、本能寺、三日天下、豊臣秀吉、徳川家康、安土桃山から江戸へのキッカケとしての大きな存在、安定のキッカケもしくは犠牲。時代は犠牲というヒーローを求めているのでしょうか、殿に忠誠を誓う戦国時代の中で侍的な在り方というよりは騎士としての在り方であるようにも僕には思える、そしてそう思えるからこそ感嘆と共
—————
2020年05月21日 10:50
韓流ドラマというのは観始めるとどうしても、ついついもう一話もう一話と熱中してしまう、魅力はやはり生身の人間を描いているからなのかなと思いますが、ラテン系アジアみたいなイメージもあって、日本人が日本国内でやるとドン引きされそうなセリフや行為も何故か自然と受け入れられるしカッコイイとすら思ってしまう、日本のセリフは明らかに視聴者が求めている台詞、それに対して・・・・・・いや、そんな事はないのか求めているものが違うのか、生身の人間を求めているとか傷つく事を恐れないとか、あきらかに人間の本質に接近している韓流という魅力。それはそうと、10年以上前にDVDで全話一気に観た善徳女王がBSだったか、再放送さ
—————
2020年05月15日 10:49
スーパーの入り口付近の目立つ場所にワゴンに入った、5枚入り398円に普通の不織布マスクが大量に陳列されていたのですが、皆さん素通り、一瞥するものの誰も手に取って買い物かごに入れる人はいなかった、先日も「不織布マスク50枚入り2980円、レジにてお声掛け下さい」という張り紙がありましたが、我先にと購入される方はいなかった、一般的な不織布マスクはそろそろ供給過多になりつつあるのでしょうか、マスクがなかなか手に入らなかったほんの2~3週間前とは全く違う状況。今、もっとも心遣いと認識される贈答は手先の器用な裁縫が得意な方が一筆と共に郵送してくれる手作りマスクであるように思います。約10000分の1ミリ
—————
2020年05月14日 10:34
ある程度の年齢これは人それぞれ違う訳ですが、それが30歳の人もいれば40歳50歳の人もいて、その、それぞれの人が思うある程度の年齢になってくると「誕生日おめでとう」などと言う言葉を差し出されると不貞腐れる場合もあるし、虫の居所によってはいきなり激ギレする場合もある、理不尽な事に。そういう激ギレ不貞腐れの季節を経由して、これは達観の季節なのか諦めの季節なのか、できれば達観の季節もしくは自然体の季節であって欲しいのですが、そうですね自然体の季節これがいいです。その、自然体の季節に届いた頃に思う事これは「よくもまあ、ここまで生き延びてこれたものだなあ」という感慨深さ。思い返せば綱渡りの連続、イチかバ
—————
2020年05月10日 12:36
新型コロナに対する恐怖もあるし、先日も二回ほどありましたが、地震をはじめとする自然災害に対する恐怖もある今日この頃・・・・・・というのは誰もが、いつどうなるか分からないかもしれないという本当は多くの人が知っているにもかかわらずなるべく見ないようにしていた現実を生きている、という事を否応なしにつきつけられてしまっている今という事ですが。恒常性はない、自分を取り巻く環境が今あるのと同じ状態で明日もある、という事は実は、保証されていない。想い、いつか伝えられたらとうっすらと脳裏に浮かんでいるもの、タイミングか来た時に上手く伝えられたらいいなとか空想してしまっている想い。待っていたら、ただ漠然としてい
—————
2020年05月08日 10:45
ただの宣伝文句なのかもしれないですけれど、今、明智光秀にスポットがあたっているとかどうとか。戦国武将の一番人気はいつの時代も織田信長がテッパンだと思うのですが、これは境界例的アクティングアウトとして描かれそれが人々を惹きつける戦略的そして間違いなくこの描写はシミュラークルであるように思えますが。明智光秀、本能寺、三日天下、豊臣秀吉、徳川家康、安土桃山から江戸へのキッカケとしての大きな存在、安定のキッカケもしくは犠牲。時代は犠牲というヒーローを求めているのでしょうか、殿に忠誠を誓う戦国時代の中で侍的な在り方というよりは騎士としての在り方であるようにも僕には思える、そしてそう思えるからこそ感嘆と共
—————