神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2019年06月29日 19:11

シンゴジラ

シンカリオンという名作がいきなり終焉を迎えてしまった、大した前触れもないままに物語りの未完結のままに。やはり最も印象に残っているのは夢オチでしかなかったのだけれど、typeーEvaなのか、あと、もっともカッコよかったブラックシンカリオン・バーサーカーモード、様々な潜在性の宝庫が尻切れトンボと化してしまった虚しさは多分SSでも探ってみる事にしようかな、とか思いますが。typeーEva、エヴァンゲリオン、庵野さん、庵野さんにはいつもいつも、どうしても魅せられてしまう、ああそういえばシンゴジラも素晴らしかった、最初から最後まで物語りは最高強度のメタファーとして進行し続ける。海洋に不法に投棄された放射

—————

2019年06月13日 11:36

まるめろ

せいぜい小学校の低学年くらいまででしょうウルトラマンを観ていたのは、だんだんと友達と外で遊びまわるのが楽しくなってくる訳ですから。ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンエース、エースの頃までは取り敢えず記憶にはある、その後のタロウになると、最初の頃は惰性で観たり観なかったり、そのうち完全に熱も冷め一切見なくなる、それと引き換えにドリフに夢中になって教室の先生の教壇の上でカトちゃんの「ちょっとだけよ」とかやって出席簿の角で頭をはたかれるとか。しかしあのウルトラマンエースの変身は衝撃的だった、それまでのウルトラマン達は一人で変身していたので巨大なウルトラマンに変身しても

—————

2019年05月15日 10:19

トカゲとか ヘビとか

ゲームや同人誌の世界を垣間見る時、多くの物や動物が擬人化されて萌え対象に昇格されている訳ですけど、そうなんでもあり、なんでもありは楽しい、まずは僕のような平凡で単純な脳しか持ち合わせていない場合には訓練が必要になるのですが、擬人化を問答無用でダイレクトにリビード近辺まで侵入させる直通回路を訓練によって作らなくてはならない、想像界と現実界の直結、まあそれは無理である事は分かりきっているのだけれど作法上においてという事でスキゾに自分を思いっ切り振る練習、今まで使っていなかった脳の回路を新たに作る努力というものが必要、まあこれは単なるイメージ上での話ですが。その上で考えて思うのは、擬人化の筆頭という

—————

2019年05月06日 20:36

自分とは何か

自我とか超自我とか、懐かしい20世紀の古典なのか考古学なのか。特に「超自我って・・・・・なに言っちゃってんのウケるんですけど」というのが実のところでもある。人間はなにを拠り所にしてきたのか、その時代時代の拠り所は超自我に問答無用で侵入していたのかもしれないけれど。その侵入物が神という意味での天だった時代もあったのだろうし、科学が発展して飛行機であったりロケットであったり、神の存在する天にまで人間の活動範囲が広がった時、もしかしたらその天で神に遭遇できるとかいう期待もあったのかもしれないけれど残念な事にUFOの目撃情報はあったにしても神の目撃情報はなかったように思う。その失望の時点で超自我に侵入

—————

2019年05月01日 10:08

仕事という自傷

人と関わる事によって自分を保つ、社会性、社会と関わる事で自分を保つ、断絶して誰とも交流しない中で自分を保つ方法を知っていらっしゃる方はそれでいいですけれど、多くの場合は社会参加によって自分を保つ。自分を保つ上で最も重要なのは実感、自分は確かに生きているという実感、それを最も容易く得る事が出来るのが仕事。実感の成分の多くを占めている要素は自分を追い込む事から得る事が出来る要は単純な言葉で言い表せば「頑張る」という事から得られる。肚を据えて本気を出したり、200%に挑戦し続けたり、自分を追い込み続けたり挑戦し続けたり、焦燥感の中で苛立ったり時には攻撃したり蹴落としたり、逆に助けたり、そして助けた事

—————

2019年04月19日 10:00

僕らは情報によって作られる

自分が若者だった頃、行動様式、何をして遊んだらいいか、何を着たらいいか、どんな車を買ったらいいか、恋愛対象にはどのように接したらいいか、どこに出掛け何を食べたらいいか、最先端は、なにがオシャレなのか・・・・・・・・・これらは全て、たぶん、学習したそれはメンズノンノやポパイという雑誌から、あとはビッグトゥモローもそうかな。学習してそれを行動に移す、多分大切だったのはどれだけ素早く行動に移すかという事、それもさりげなく、その行動が自分のオリジナルであるかのように、シミュラークルとシミュレーション、行動すればするほどシニシズムが沁みついてゆく自分、というある種の心地よさ。雑誌の情報に従った、多分当時

—————

2019年04月18日 10:08

自分に似た人を探し求めて

古典的王道としての快原理に従えば、やはり僕らは元の状態に戻ろうとしているとしか言いようがないのでしょうけれど、元の状態、その元の状態というのはどのような状態の事を指すのか。一つは有機体である事を放棄する事そしてもう一つは幼少期に遡って、あなたは男であるとか女であるとかと言った分岐点を承諾と共に通過する以前の心的両性具有的状態、幼児期にそのような事を思考している訳ではないけれど大人になって振り返った時には、そうとしか言いようがない万能感高揚感、きらめく可能性の塊としてファンタジーを浮遊していた今となっては決して戻る事が出来ない・・・・・・・が故に渇望して止まない両性具有的状態。両性具有的自分は幻

—————

2019年04月08日 10:54

果汁はほとばしる訳ではない

ドライフルーツには知の領域での満足しかない、そこで取り残される情動的欲求不満、衝動には対応しようがい干からびた欠片という栄養素の宝庫。栄養素を摂取する事によって満足できるのは理性であり、衝動は決して満足する事は出来ないという事実、いわゆる一つの自己完結であり自慰行為でもあるかのような様相を呈しつつ。衝動はどうする、パッションは、ドライフルーツを口に含んで、そこで衝動が満足を得るという事は決してない訳で、そういえばパッションフルーツというものがありました、じゃあそのパッションフルーツを乾燥させたものは、どうなのでしょうか、自己完結から飛翔する事は可能なのか、いややはり、無理。果物、フルーツ、果実

—————

2019年03月26日 10:22

マエストロは存在しない

言語の洪水、渦巻く言語、カオスとしてのシニフィアン、カオス状無意識、そうだな渦巻く言語、渦巻く言語という名差しが最もふさわしいように思えます、自分というのは単なる渦巻く言語でしかないように思う。そこに感情はあるのかというと、どうもなんとなく、あるとは言い切れなくて単なる記録の集積、経験や学習の集合体、その集合体はただ経験や学習を無造作に、薄れゆく言語として放り込んであるだけの。その言語の渦巻きが、カオス的集積が、自分が他者と関わる時にのみ何らかのインターフェースを瞬時に感覚的に作り上げる、このシチュエーションにはこのインターフェース、この人のこの状況にはこのインターフェース、これは自分の思考の

—————

2019年03月17日 16:41

フェティッシュとか倒錯とか

フェティッシュを手にしている人というのは満たされている状態の人、日本では多くのものがカワイイに変換されているので、だからカワイイものを手にしている人は勿論満たされている、カッコイイは違いますね、あれはフェティッシュではなくファルス、正義とか力とか、膨張とか勢い、強さや剛という意味でのファルス、だからカッコイイを手にする時その人はそのファルスと見なした対象と同一化している、自分自身がそのカッコイイ物が証明している強さや剛そのものになっている。ただ思うに、カワイイはちょっとポップすぎる、それは一つの、時代の洗練の中で正当な倒錯を巧妙に隠蔽する為の作法であるかのような、でもだからこそ多くの人がそのカ

—————