神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2018年08月12日 16:32

構造の権化

構造主義などは20世紀の中盤以降に、というのは、とっくの昔・・・・・・・・とっくの昔に終焉を迎えている、にもかかわらず未だに組織、特に密閉された組織の中には構造しか見い出せない組織も存在している。こういうのはここ最近はニュースで嫌と言うほど聞かされる、その度に、なぜ構造だけをいつまでも体現しているのかと、うんざりする。構造でしかないものは不思議な事に何故か、腐る。構造は必要、しかしその構造の中に自在に生成するシステムが存在しないものは、腐る。構造は構築を繰り返し続けるべき・・・・・・・・・・にもかかわらず、構造内に存在している構造の権化、構造の権力者は、構造の中に芽生えそうになったシステムの萌

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2018年08月11日 18:06

中二病の効能 ビジネスの文脈において

中二病的過剰な自意識のその先に在る作法、心象世界の具現化、固有結界、魔法、等々。それらは大人の、社会人の、ビジネスの文脈にも通じる強固な構造でもあり誘導的システムでもある。交渉を有利に進める為に丹念に敷き詰めたコンテクストに相手を引き込む、取り込む、密閉された空間という固有結界の中で。自分と交渉相手をオートポイエティックなシステムを構成する要素とみなし、ただし自分はメタポジションを取りながら、システム内で要素として作動している自分を操作する、システムの目的は勿論自身の想定する結果を導きだす事それは、魔法のように。中二病的妄想が理論や強度を伴って効果的に機能した時、そこで演じられるのは仕事の出来

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2018年08月10日 10:53

その人の全てを包み込む

抱きしめる、という行為がその人の一部を欲情のもとにおいて搾取する為ではない場合、その人を抱きしめる事とその人をそっと包み込む事は同義であったほうがいい。そっと包み込んだその人、その人というのは身体と精神で構成されている。その身体と精神というのは、その人が生まれてから今日までの間に味わった、そして時には抗う術なく味わわされるしかなかった様々な、語り尽くせない経験が元となって形作られている、全ての経験がその人を作っている。その人を抱きしめるという事はその人の経験全てを受容するという事、抱きしめた後で後出しジャンケンのように責め立ててはいけない、決して経験を否定してはいけない、抱きしめ包み込む事が安

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2018年08月08日 09:45

自由

人から共感される事によって自分の在り方は間違っていないと思えるのだろうし、安心できるのだろうし、そしてそれは生き続けてゆくエネルギーや勇気、喜びにつながる。共感の構造、それは相手も身に覚えのある事であったり、とても近い経験をしているからであったり、自分と同種であると親近感を感じたりするからこそなされる、最低でも想像可能な範囲である事は大前提。今の世の中は浅く広くそれが蔓延しているからこそ、緩やかな相互承認という工夫があるからこそ、多くの人が共感し合うという作法の元での生きやすさ。自由、自由、自由、口で言うのは簡単、本当の意味での自由・・・・・・フェイクとしての常套句的予定調和的自由ではなく極北

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2018年08月04日 10:04

執着のその先で

愛とは執着、奪う、支配する、思い通りにする、所有する事、それが上手くなされればひとまず満足するのだろうし、もし意に反した場合は陽性が陰性に反転して苛立ちや思い通りにならない腹立たしさを感じる、それが続けば憎しみに変わる、いともたやすく向ける想いは反転する、陽性陰性、反転し続ける、こういうのは多くの人が経験済みの事。自分の想いを相手に押し付ける、という執着、依存、そこでは押し付けられた相手は窮屈さを感じる場合もある、相手によって規定される自分、もしかしたら、本当の自分ではないただ単に、相手が気に入る、相手の期待に反さない、相手の怒りに触れない自分を演じているだけの場合もある。その結果としてどんど

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2018年08月02日 09:54

冒険を繰り返す自己愛

「金が全てではない」という物言いは、実際に金を持った事があるからこそ実感できた事。「愛だけでは生きてゆけない」という物言いは、実際に愛だけに生きた事があるからこそ実感できた事。想像上で「ああ、そうなのだろうな」と思う事は多くの人が出来るけれど、そこでは自己愛の装飾が邪魔をする。金が全てではない、愛だけでは生きてゆけない、一般論としてはそうなのだろうけれど、自分は大丈夫、自分だけはそうはならないかもしれない、と思ってしまう。そうなると、意思決定で揺れる、理性では分かっているのだけれど、感情の部分で不可能としての可能性が視界の隅でチラつき続ける。極端な例ですけれど、何事ももしかしたら、体験する事に

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2018年08月01日 20:36

力のある者へ・・・・・

もし、自分には力があると思っているのであれば、その者の役割は自分の力を周囲に知らしめる事ではない、自分が優位に立つ事でもない、まして力を誇示して他の者と縦の関係を築く事では決してない。力のある者の役割というのは、自分より力の弱い者を守る事であり、自分と同じように力を持ちたいと思っている者を高みに引き上げる事、そして自分の力を超えられるように後押しする事。それだけが、力のある者の役割。力のある者が傲慢さを纏った時、尊敬の枠外へ放り出されるしかないのだから。

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2018年08月01日 11:53

ベルセルクを仰ぎ見て

昇華などという気の利いた状態ではなく、症状、ヒステリー、これはもしかしたら古典的ヒステリーとしての症状でしかないのかもしれません。過去を振り返るという行為は自分にとって多分、圧倒的に迫りくる後悔なのでしょう。何故もっと勉強しなかったのか、何故もっと優しくしなかったのか、何故あそこで諦めたのか、何故あの時選択したのか、もしくは選択しなかったのか・・・・・・・自分の過去はそんなものばかりで構成されている。もし万が一そこに囚われメランコリックに澱もうものなら、絶望に包み込まれてしまう予感。だからこそ、前だけしか見る事が出来ないという、どうしようもない事実。少しでも気を抜くと湧き上がりそうになる後悔を

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2018年07月31日 11:04

戦う

戦うという行為は、相手があるからこそ、その相手から何かを守る為に戦う、相手を敵と見なして。何かを守る、守るべきものの為に戦う、守るものがある方が人は強くなれる・・・・・・・・・いやどうなのか、ちょっとこのステレオタイプには疑問を抱いてしまうのですが、無理のあるシミュラークルであり勇気を呼び起す為のファンタジー、そしてその勇気は玉砕につながる・・・・・・みたいな見方だってない事もない。守るべきものの為に戦う時、それは戦わざるをえない状況に自分が追い込まれてしまって、取り敢えず肚を決めた時、そこでは状況や成り行きによって仕方なくという場合も多い、別に戦いを好んでいる訳ではない、普段から鍛錬を欠かさ

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2018年07月29日 11:17

言語が主、僕らが従。

発生して、消滅する、そんな中で受け継がれてゆくものは遺伝子、というのは何となくピンとこなくて、思うに、言語、つないでゆくものは言語。様々に発展進化する知、文化も発明も科学も欲望も、言語によって思考する事が出来るからこそ生まれ発展した、ああ、そう、言語のない所に高度な欲望は無い、そこに在るのは欲求だけ、それは本能に根ざすものとして。言語は増殖するし枝分かれするし変容するし新たにどんどん生まれ続ける、発見や発明や創造によって新たに名付けられ他の領域に参照され、そこでまた新たに生まれるものだってある。つないでゆくのは言語、僕らは言語の乗り物として存在している、とか・・・・・・・・言語が主、僕らが従。

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