神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2022年05月13日 18:09

神経症的に生きる

シニカルに言い捨ててしまえば、そもそも僕らは全体社会システムを構成する単なる一つの歯車に過ぎないのだから、その歯車でしかないものに大して価値など無いのかもしれませんし、価値を見出そうと躍起になる事自体が間違っているのか、どうなのか・・・・・とか思わないでもないのです。この文脈を両の掌でそっと包み込んで、個人としての幸せそれは生きる意味とか、肯定感とか存在価値や意義とか、事実抑圧の効果として神経症的に生きてゆくというのもいいのかもしれない。万が一、これを否定する場合、何を拠り所にするのか、自分を裏打ちする概念は何なのか、と考えた場合にのみ、自分が今まさに引っかかっているリゾームの何処かで、座標軸

—————

2022年05月06日 19:08

内省そっちのけ

人は内省し語る存在である、これは出来れば普遍それも、唯一の普遍であって欲しい。内省する事と語る事、上手くバランスが取れている事が望ましい。常に喋り倒す人、自分のエネルギー全てを語る事に費やしているかのような。もしかしたら本来は内省と語り、半々のエネルギーバランスが望ましいのでしょうか。ペラペラと喋り続けるという事は、内省そっちのけで・・・・・・・という事になってしまうのでしょうか、印象としては間違いなくそうですね。すごく頭の回転が速くて、情報処理能力が高くて、内省しながら語れる人というのもいらっしゃるのでしょう、そういう方はオーラを纏っているのでしょう。そうではない場合は、ペラペラと喋り続ける

—————

2022年05月02日 19:33

バブル世代 Z世代

経験、知識、どちらがより重要かというと、当たり前の事ですが勿論、知識。知識のない中で経験し、幸運にもそれが上手くいったとする、成功体験と言われるものの一つなのかもしれませんが。知識のない中での成功体験というのは、誇大自己の形成に直結してしまう可能性を多分に含んでいるし、その唯一の方法に固執してしまう場合も、よくあります。知識、これは適切な情報という事でもいいと思いますが、まずはその知識を自分に入力して、成功しているビジョンを鮮明にして、シミュレーションもして、柔軟性をもってそれに沿って動く、ここで大切になるのは最後には、根拠のない自信だったりします、ただしそれは知識という根拠に裏打ちされてはい

—————

2022年04月25日 20:13

流れの中で

会社員の自分、根なし草としての何者でもない自分、起業を楽しむ自分、経営者の自分、フリーランスの自分・・・・・・・・・様々な経由からの、得体の知れない自分。あの時別の選択をしていたら、という常套句を文学やポエムの文脈でよく聞かされますが、僕らはそもそも、それほど大袈裟に叫ばれるほど、選択の中に身を置いている訳でもないように、今振り返ればこれは、事後的にという事ですが、思えます。選択というよりは流れ、それは時に激流であったり、時には穏やかな心地のよい優しい流れであったり。流れとは自然なものなのだから、そこに敢えて現実を捻じ曲げるような力を挿入する必要はないようにも思えます、分岐で選択を迫られるので

—————

2022年04月17日 21:50

あまりにも利己的な

腹が減った何を食おう、カツカレー、背油たっぷりラーメン、生姜焼き定食、カツ丼、菓子パン5個。空腹になって、自分が食べたいと思ったものを食べる、これは考えようによっては超利己的な行為、自分の欲望のままに自分が食べたいものを誰にも気兼ねなく食べる、好き勝手に原初的欲望を夢中で満たす行為、最も身近な自己中心的な行為である・・・・・・とか。「何食べたい?」と聞かれて「○○が食べたい」と返答するこれは、自分の欲望をさらけ出して人に伝えるという事でもある、と考えるとなにか気恥ずかしいような気もしてきてしまいます。「何食べたい?」と聞かれて「うーん、なんでもいいよ」と答える人、もしかしたらその人は、他者配慮

—————

2022年04月10日 16:38

共感に付いてまわる責任

社会全体に浅く広く浸透して、それなりに実践されているカウンセリングマインド・・・・傾聴や共感。共感し合うという事に心地のよさを感じる人もいれば気持ちの悪さを感じる人も勿論いる・・・・・・多くの場合、共感は安心につながりますね、安心し合う世の中。共感という手法これは文脈によっては、本来は相手の信頼を得て、その相手を徹底操作する為の単なる技法であったと思うのですが。相手に共感する、これは実は心底、本物の共感でなくてはいけない、共感されたその相手は、共感してくれた人に信頼を向けるのですから。共感した結果として相手の信頼を得る、相手は自分を信頼するそれは、共感された結果として、自分からアクションを起こ

—————

2022年04月01日 11:41

アポトーシス

「自分らしく」とナルシシックに嘯く、自分らしさとは何なのか、それは何もない所から衝動として自然と湧き上がってくるものではない、何もない所に用意されているのは本能と言ってもいいし、たんなる欲求でしかないのですね、そこに言語は存在しません。自分らしさというのは、見聞きした事や実際に経験した事が言語として自分に内在化され、その言語によって構築されるもの。自分らしさを見出すには、言語の蓄積が必要、それはさまざまな経験が必要というとですけれど。経験を取捨選択してその先で、自分らしさとは何かという難問の輪郭が、徐々に鮮明になってゆくのだと思います。時に、自分らしさというのは、行動を避ける為都合のいいいい訳

—————

2022年03月28日 17:08

スキゾの優位性

前から観よう観ようと思っていた「砂の惑星」が、アマゾンプライムにあったので399円払って観てみました。理屈で考えれば成立しようのない、ありえない現象が、物語りのそこかしこにちりばめられているそれは、映像美として。論理的に考えた時には受け入れ難い現象の数々、言語により分節する必要のない映像、ということはこれは、ポップな仕草で現実界にダイレクトに触れるニュアンスという事なのか、どうなのか。芸術や映像・・・・・・・スキゾフレニアの優位性を実感してしまいます。夢でしか成立しようのない煌めきの脈動。

—————

2022年03月25日 19:42

風景 背景

春の訪れというと、どうしても桜それもソメイヨシノだけが前景化してきてしまうけれど、その強度の陰には、木蓮であったりボケの花であったり菜の花やユキヤナギ、様々な色彩が実はそこかしこに風景として点在している。ただこれは風景としての点在な訳だから、どうしても見落としがち。風景というのは意識して見ようとしない限り、認識されません、これはなにも自然や花に限った事ではないですね。

—————

2022年03月14日 19:40

短いホイッスル

朝6時過ぎくらいになるとカーテンの隙間から陽の光と一緒にウグイスの鳴き声が輪郭のはっきりしない、まとまりのない精神に差し込んできて、その精神を徐々に集約していってくれる、という一つの、さわやかな目覚めを。思考に深い靄のかかった中にウグイスの鳴き声という刺激が有無を言わさず暴力的に侵入してくる訳ですから、侵入直後には「これはウグイスの鳴き声である」とは認識できない、窓の外で鳴り響くアラーム音であったり、短いホイッスルであったり。これを何度も聞かされているうちに徐々に思考が正常化され、初めてその音の正体を認識できる。僕らは世界の全てを、言語としてしか認識しよがないですから。ウグイスの鳴き声というの

—————