神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2022年03月04日 22:24

マスク生活に慣れた結果として

身支度して最後に顔にマスク装着して出掛ける・・・・・・元々はそういう流れだったのが、こうもマスク生活が長くなってくると、マスク装着までが身支度、既にそして遂に、服を着るという行為と同じ次元にマスク装着が取り込まれたように思います。様々なメーカーから色々な種類の、顔や耳に対する攻撃性のない、付けても全く異質感をいだかせない、心地のよいマスクも沢山登場している、ここに各企業の競争、逞しさも感じる。打ち合わせ中、会議中、主に人と話している時、話に夢中になり、勿論その時は感染予防の為に誰もがマスクを、それは付けている違和感を一切感じさせないフレンドリーなマスクを・・・・・・・・話に集中している効果も手

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2022年03月01日 14:45

セピアに想いを馳せる

思い出を色で表現する時、セピア色と表現される、これは写真があせた色。想い出というのは、その時に撮った写真に依存しているのでしょうか、写真がまずあって、脳裏に記憶として蘇る、セピア色という哀愁。今、写真はどのように保存さているのか、デジタルとして鮮明に、まるでついさっきの出来事であるかのように、雑多に保存されているそれは、脳内で美しい変容を免れつつ。鮮明な、今ここにあるような経験の記録、これは思いでと言っていいのかどうか・・・・・・・・クロニクルにはなり得るのでしょうけれど。

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2022年02月23日 20:21

自分らしく・・・・・・。

強大な唯一の幻想としてのファルスに集約していた時代は、人と同じ事をするのが当たり前であり無難であった。今は多様性が散布された結果、幻想とは言い切れない自分なりのファルスを手に、人それぞれが思い思いの方向を目指せばいい社会になりつつある。自分を大切に、思い思いに生きる事が当たり前になったら、今度は昔とは逆に、人と同じ事をする事に大きな勇気が必要になったりするのでしょうか。人と違う事をしたいのだけれど勇気がなくてできない社会、人と同じ事をしたいのだけれど勇気がなくてできない社会。いつかどこかのタイミングで、ちょうどよい落としどころに自然と着地するのでしょう、それは「自分を大切に、自分らしく」という

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2022年02月21日 16:13

理性的である事

自分を振り返った時、やはりそれなりには、自分の生きてきた今までに納得を得たい訳だけれど、それは、どのような生き方をすれば納得を得る事が出来るのか、これは人それぞれのようでいて実はその奥底には普遍性が見え隠れしていない事もないように思います。どのような社会体立場にあるとしても、一個人として最も大切なのは、綺麗事を言ってしまえば・・・・・・・・というのは、多くの場合その最も大切なきれい事を、人それぞれの事情で覆い隠し、自らを語る時には露悪的に嘯いて強がり、虚勢を張ってしまうという悲しい現実も勿論あります。人は関係ない、ただ一つ、自分に誇れる自分でいる事、自分に対して自分を誇る、諦めそうになる弱い自

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2022年02月16日 22:33

白い霧の向こう側に

希望を抱き続ける為のコツは、動き続ける事なのだと思います。希望とは幻想、幻想は白い霧の向こう側にクッキリと存在している、と、思い込む事で成立する。これは見え隠れするからいいのであって、全ての霧が晴れてそのオブジェの輪郭が鮮明になった瞬間に、まがいものであった事実が認識されてしまう、事も多々ある。一つ所に居続けるという事は、徐々に霧が晴れてゆくという事、これは、もし分かりにくければ、霧ではなくて白く薄い沢山のベールと言い換えてもいいですけれど。真実が一つまた一つと暴かれるたびに、その白く薄いベールが一枚一枚剥がされてゆく。一つ所に居続けると、こういう事が起こりやすいですから、絶望の後にその場を去

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2022年02月07日 17:50

反面教師に花束を

自分に恥ずかしくない生き方をそして言動をすればいい訳だけれど、ここで問題になるのは自分がどのような理念で動作思考しているのか、どのような理想像に目を向けているのかという事なのだろうけれど、こんな事は普段あまり考えていないし、もっと言えば日々のスピード感の中で常に置き去りにされていたりもします。自分がカッコ悪いと思うことを具体的に論え続けて、その集合体を偶像化して、そのカッコ悪さの集大成を排除し続けるところから始めるしかないのだと思います。ただこの、これはカッコ悪いと思える事がすぐに頭に思い浮かぶかどうか・・・・・・・・まあこの場合は、周囲に反面教師というのはいくらでもいるのだろうし、それを参考

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2022年02月06日 18:20

内省し・・・・そして語る。

自分を見つめ直すというのは、かなり勇気もいるし忍耐も必要、なにか大きな出来事を経験した時や挫折した時、一旦総括する為でしょうか。「人は内省し語る存在である」と20世紀には言われていたけれど、だから本当は、今でも常に行動しながら自らを省み続け、ある程度の速度で進みながら微調整を欠かさない、というのがいいのかもしてませんけれど。動き続けながら思考を欠かさない事、本当はこれが一番いい、そのようにあれば、敢えて自分などを見つめ直す必要もないのだけれど。自分を見つめ直すという身振りを、人生の一大事にしない為にも。

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2022年02月04日 16:52

自分探し

いつまで経ってもウオーキングデッドが新着されないと思っていたら、今度はディズニープラスという所が放映権を獲得したそうで、そうなると、また新たに加入しなくてはいけないのでしょう。沢山の魅力的なキャラクターがいるけれど、やはり思うにダリル、アジア系のグレンのかなりよかったけれど、どうしてもダリルに感情移入してしまう。物語の冒頭こそ素行の悪さがほんの少しだけ描写されたが、時間を追うごとにどんどん魅力的に成長してゆく姿に・・・・・・・・・というよりは元々ダリルが持ち合わせていた資質が環境による刺激を受けて顕在化され続ける静かなプロセスに大きな感銘を受けてしまう、潜在性が環境からの刺激を受けて顕在化して

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2022年02月03日 14:13

愛について

精神分析的に言う愛とは、べつに、美しいものでもないし人から尊敬される態度でもない、なぜなら愛とは単なる激烈な感情であり両価性を有しており、その対象を奪いたいという強い執着でしかないのですから、ただ、だからこそ究極的に純粋ではある、そして純粋だからこそ人として、それは自分一人では決っして生き続けられない存在であるからこそ、奪うという一切尊重のない行為は暴力にも通じる、それは非難されても仕方のない態度なのだと思います。自分にとって大切なもの、愛の対象、どのように扱うのがより良いのでしょうか、奪うという事はそこに相手を尊重する態度はないという事そして、それは大きな暴力でもある。結局のところはその真逆

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2022年02月01日 09:51

「気合い」の効能

春、昇進したり配置が変わったり新たな役割を担うようになったり、様々に環境が変わる可能性のある時期、新たな自分にならざるをえない時期。そこで最も大切なのは何なのか・・・・・・当然スキルなのでしょうが、これはそれほど心配しなくていいように思います、その能力があると判断された事による辞令なのでしょうから、だからこれは自分を信じるという態度で事足りる。まずはイメージ、新たな役割を担い夢中で頑張っている自分、期待に応えている自分、完璧にイメージする、そしてこれらの鮮明なイメージに積極的に嵌まり込んでゆく、その時に大切なのはやはり、古典的ではありますが気合いだったりします。自分を鼓舞出来る音楽でも映像でも

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