神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


記事のアーカイブ

2021年12月27日 12:32

生暖かく抱きしめ続ける

新規入社者に対するOJTも勿論含めてと言う事ですが、相手のゆるいペースに合わせてしか業務を進められないというのはストレスでしかない訳ですね、常に自分に余裕がないと、そして理性的でないと成せない事、特に多忙な中でとか大きな成果を求めている時には自分にもあまり余裕はないですから、もう、苛立ちとため息の連続。こういう時、教わる方や、無能な自分に歩調を合わせられる方というのは、どのような心理状態なのでしょうか、申し訳ないと思う人もいるし当然の権利だと思う人もいる、または・・・・・・・・そんな事を思う余裕がない人。マニュアル化、手取り足取り、システム、これらを経験して、そこで待ち受けているのは何なのか、

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2021年12月24日 21:23

年賀状、来年は寅年。   ダウンロードや付随のCDからデザインを選ぼうとすると、なんとなく、どれも微妙。          何故だろうと考えてみると、虎のデザイン、劇画タッチだと迫力があり過ぎてちょっと怖い、新年早々ケンカ売ってるみたいな、全然おめでたくない感じになってしまう。    それではと真逆のファンシーなデザインを選ぶと、まあそれなりに、可愛らしくはあるのだけれど、少し違和感を感じる。       虎といいつつ、そこで描かれているのは、やたらとガタイのいい猫もしくは、人懐こそうな小太りの猫。 試しに印刷してみたのですが、このニッコリ笑っている人懐こそうな小太りの猫...ああ、こういう営

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2021年12月22日 16:50

ある意味、暴力的でもあり。

スタンプ、画像、短い映像、親指を立てる記号、流行中の短いワード、コミュニケーションから複雑な言語が言語が排除されつつある。しかしこれは時代の流れでもあって、仕方がないのかなと思います。誰もが情報端末を常に携帯している事によって、強迫的に迫られるコミュニケーション、それを切断してしまう事は、仲間はずれにも通じてしまう。一日に二往復や三往復程度の情報や情緒の交換であれば、時間をかけて複雑な言語を紡ぎ出す労力も、日常の中で割けるのでしょうが、自分の情報端末を通じて日々何百もの情報が流入して続ける今日この頃。じっくり言語を紡ぐ時間というのはもう、僕らにはないのですね。一目瞭然の情報を、サクサクと処理し

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2021年12月19日 20:12

永遠の定点

しかし今年もあと10日ばかりで終焉を迎えてしまうという唖然の中で考えさせられてしまう、時の過ぎ去るのはあっという間、時間はあっという間に過ぎ去ってゆく、去年今年は世界全体を濃霧のように重く覆っている新型ウイルスだけを凝視しているうちに、時が過ぎ去ってしまった。しかしこれは、よく、思うのは、時が過ぎ去るなどという客観的なのんきな事を言っていていいのか、自分は永遠の定点であるとでも考え違いをしているのではないか。過ぎ去る時を、ただ呆然と眺め続ける、そては自分の時間が、自分の持ち時間という有限が規則正しく減り続けているという事に他ならない。そして、100円ライターのガスの残りのように、あとどのくらい

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2021年12月12日 19:20

削ぎ落とす

人間の三大欲求、食欲・性欲・睡眠欲、これらはあくまでも本能に基づいた欲求であるべきなのか、それらの本能的欲求が欲望にまで肥大してしまうのはどうも・・・・・・ただ、食欲の場合はそのまま文化にも発展するのだから、これはこれで欲望に昇格させてもいいのでしょうか、ああそれを言ったら性欲、この性欲というのも今は萌えに転換されて、その膨大なエネルギーを原動力としてカルチャーが様々に発展してきているのですね、睡眠欲というのは今一つピンときませんm、シエスタの心地よさは否定しませんけれど。僕らからこの三大欲求を取り除いたら、その時、何を求めるのか、この容易く欲望にまで発展しうる、本当の自分を隠蔽してしまう可能

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2021年12月03日 19:48

フォーエバー

より良く生きる、というのを理想とする時、何が自分にとってより良い事なのかといのは、その人の性格によって全く違ってきてしまう。夢中、充実、楽しい、楽、これらの延長線上により良いという感覚がある訳ですけれど・・・・・・・その人が何を・・・・・・・・・・そう、快という事なのでしょう、その人にとつて快とはなんなのか、この「快」に浸る事が出来れば自分はより良く生きているという事を実感できる。緊張・弛緩、どちらも極北まで振り切ってしまっては生命そのものが危うくもなってしまうのでしょうから、特に緊張の場合はレブリミット7.000回転のエンジンを常にそのリミットである7.000回転でまわしていればいづれ焼き付

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2021年11月29日 18:29

宣言の先延ばし

自己同一性、アイデンティティとは言われるものの、今一つハッキリしない概念であるかのように、もっと言えば空論であったり霧散し続ける幻想であるかのような、そしてそれをいい事に宣言を先延ばし続けているのかもしれませんが。表面的に言えばアイデンティティ・カード、いつの頃からか会社員が首からぶら下げているIDカード、ここには「私は〇〇である」と明記されている訳ですから、社会的なアイデンティティというのは、その札に依存すればいいのかもしれませんけれど。表面的解釈に留めておけばいいものを、どうしても、その社会的立場をかいくぐって本質的なものを見出そうと躍起なってしまう。自分は〇〇である、この○○に当て嵌まる

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2021年11月22日 22:31

逆転の瞬間

産まれ出て成長して大人になる過程で、特に思春期の後期から出口辺りでしょうか、自分の意味について思案を巡らすでも、そんな大した経験もないうちから自分の意味など明確になるはずもなく、自立に前後して自分の意味を求めて彷徨い続ける。そうこうしているうちに日々の生活の中で思いもよらない大きな失敗を経験したり、挫折を味わったりする。そうなると今度はその失敗や挫折というある意味、外傷に近い経験に意味を見出そうとする・・・・・・・・・・意味が生きる、という逆転の瞬間、ここから人は輝き始めるのですね・・・・・・・・ちょっと端折り過ぎてしまいましたが。  

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2021年11月17日 19:57

哀愁の小さな点描

サザンオールスターズはふぞろいの林檎たちで使われて、あれはバブル時期の落ちこぼれ大学生を描いていて妙に共感しながら釘付けになっていた、自分の学生時代と完全にダブる、栞のテーマなどは今聴くと哀愁の小さな点描に吸い込まれる不思議な感覚に陥ります。  懐かしさはあるけれど悲しくはない、胸が締め付けられると言う事は、ない。 悲しくなって胸が締め付けられるという事で言うと、これもまたリアルタイムで感嘆し続けた金八先生、海援隊の贈る言葉は勿論ですがスタートラインと人として特に「スタートライン」はいつ聴いても瞬時に閉塞の昭和的中学校生活に引き戻されてしまう。 ここで言う閉塞というのは規律でがんじがらめにされ

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2021年11月10日 19:42

パラノイア的心性

昔、カッコつっけたバブルの頃から言われていた「オンとオフ」をきっちり区別するというスタイリッシュ。今はリモートワークも定着して仕事が生活の場に浸潤し、それが当たり前になり仕事と衣食住が、公と個が、社会と家庭が、区別しようのない中で。これはどうなのでしょうか、幸せな事なのか、それとも嫌気や吐き気を覚えてしまう事なのか。ドラッガー、ワーカホリック、アドレナリン依存症、公私の区別など必要のないダイナミックな生。仕事に夢中になれる人や起業家、こんなのは当たり前の事。夢中を味わい尽くして、流れる時間に没入し続けて、夢のような時間を味わい続ける・・・・・・・・・曲解すれば、浦島太郎とはそういうとても幸せな

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