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神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
「それ」は、なにか・・・・
2017年03月31日 09:00もし、そこにあるのであれば、自分のすぐ近くにいるのであれば、姿を見て見たいような欲望に駆られないでもないけれど、でも、そもそも、それに認識観察可能な実体のようなものがあるのかどうなのか。
万が一、実体があったとして、目撃してしまったとして、自分はそれに対して「こっちに来い」と呼び込むことが出来るのか、かなり肚を決めないと無理なように思う。
それは、完璧な欠落なのかもしれない、なにもないという仕方でしか認識しえない空疎なのかもしれない、観察不可能な巨大な混沌なのかもしれない、もしくはそれはただの鏡・・・・・自分の想いをいかようにも映し出すことができる鏡、完璧な希望であり絶望である、という鏡。
目撃してしまった「それ」というのは、たぶん「本当の自分」という言葉で言い表されるもの。
鏡、想いを映し出す鏡、だからこそ、さまざまな本当の自分を設定して、希望を目指したり安堵を手にしたりする事が可能であり。
そして本当の自分も経験と共にどんどん深化したり変幻したりします。
話は逸れますが、環境に自分がフィットしている状態で、そこに喜びや生の実感を見い出せる時、これこそが本当の自分であると思える事もあるのでしょうし、その環境にフィットしなくなってくると今度は、本当の自分は他にいるようにも感じる。
フィットしていないという状態に不満が芽生える、その不満と反対の場所に本当の自分がいるように感じる事もある。
自己実現とは微妙にニュアンスが違うのだと思います、自己実現は成長段階で足りなかったように心的に感じていたり、過剰だったように心的に感じていたりするものを適切な状態に(時には無意識的に)戻す行為、というニュアンスなのだと思います。
・・・・・なんかおかしな書き方になってしまいましたが。
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