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「なりたい自分」を目指す為のシステム
2018年04月30日 10:29こうありたい自分、みたいな、ある種のアイデンティティにも通じる類のものをもし見出したのだとしたら。
自分は確かに生きているという実感、こうありたい自分を表現出来ている喜び、よく、人は一人では生きてゆけないと言われますけれど、アイデンティティ、自分の意味、こうありたい自分、その自分を表現したとして、その自分は誰かに受け入れられなくてはいけない、でなければその自分ではいる事は出来ない訳ですから、そしてもっと言えばその、こうありたい自分に変身する過程でも誰かの助けは必ず必要、だから一人で自力だけで、こうありたい自分になれる訳ではない。
想いだけは明確な生身の自分がいる、その自分の命題はこうありたい自分に変身する事、それには他者との共同が、助けが不可欠というのは当たり前の事。
変身し命題に到達する為には、生身の自分とその自分と共同してくてくれる他者の双方を要素とした、パッケージングされたシステムを組む必要がある。
目標が定まったのだとしたなら、その目標に邁進する為のシステムを構築しなくてはならない、そのシステムの命題に向かう為に有効な、そのシステムを作動させるための要素、生身の自分にプラスして他者というもう一つの要素をそのシステムに組み込む事が必要、システムを効果的に作動させるための構成要素を選択する。
周りを見回してみて、どの他者を構成要素とするのがいいのか、これは勿論客観的な視点で判断しなくてはいけない訳ですけれど。
もし今、目標に向かおうとしている中で、なぜかそのシステムが効果的に機能していないのだとしたら、それはノイズが混入しているから、前向きな態度を偽装したノイズ、それは足を引っ張るだけのもの、システムの要素として全くふさわしくないもの。
システムの要素にも様々な独自の想いが、それは時が経つにつれて、芽生え始める場合がある、だから常に確認は怠らない方がいいのだと思います。
要素としてふさわしくなくなったものに関しては、システムの境界の外にそっと押し出し、それとなく付き合ってゆけばいい、ノイズはシステムの誤作動にしかつながりません。
人は一人では生きられない、自分が自分である為には生身でしかない自分と他者という要素に基づいたシステムを組む必要がある、間違った要素をシステムに取り込んでしまっては、いつまで経っても自分である事は出来ない、決して目標は達成されない。
要素に取り込んだままにしておいていいかどうかを判断する時、まず必要なのは・・・・・・・・・しがらみの排除、あと、性愛もしくは性欲の排除、あと、強く自我を発揮してくる人(構成要素)の排除、これはシステムを乗っ取られるという事態につながります。
特に性愛や性欲というのは、ただ、システムの外側で演じればいい、システムは常にクリアに理想的に保つべき、システムに性欲の対象を取り込むと決してろくなことにはなりません、その対象者は必ずと言っていいほど暴走を始める、システム内で迷惑なナルシシズムを発揮し始める。
なんかやたらと抽象的になってしまいましたが。
文脈を変え、これを希釈してゆけば、性愛や性欲の対象はまるで自分の一部であるかのように思えてしまうという現象、性愛や性欲の元で誤った人物を自分の一部であるかのように認識してしまっては命取り、みたいな事にもつながるのかもしれません。
何かを成した人が「ここまで来れたのは家族の支えがあったから、感謝してます」という時、その家族は本人と共にシステムの構成要素となっている、スポーツ選手が「結果を出せたのは自分一人の力ではなく、コーチやスタッフの力でもある」という時、そのコーチやスタッフは本人と共にシステムの構成要素となっている、本人も構成要素、家族やコーチやスタッフも構成要素、そこでは本人を含めた全ての要素が平等、力関係や優劣は存在しようがない。
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