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「人たらし」のヒューマノイド

2016年08月26日 09:11

いつか将来、ヒューマノイドがどの程度、人間とのコミュニケーション・・・・というか、人間が確かに自分はこの目の前にいるヒューマノイドとコミュニケーションをとっている、と錯覚する事が出来るようになるのか・・・・これがある程度可能になったら、そして人間一人につきお世話係として一体づつとかになったら。
人間同士の場合、共感や感情移入というのは、それぞれの人が辿ってきた歴史や経験、外傷体験(トラウマ)に対してなされる場合が多いのでしょう、そしてそれはお互いを大切に扱う態度にもつながります。
自分の所有するヒューマノイドを粗末に扱わないで、大切に扱う為には?
人間側にしてみると、ヒューマノイドは語るべき過去という物語りを持ち合わせていないのは分かりきっている訳で・・・・・・でも、愛は投射したい、出来れば陽性の愛を、そして愛着をもって大切にしたい、自分と同じような姿かたちをしたものであるわけですしね。

じゃあ、どうすれば?
ヒューマノイド自身に、自分のオーナーに対して語らせる。
「外傷を持ち合わせていない、という事自体が自分の外傷である」という事を語らせる、そうですね、たらしこむ、的な要領で。
人間みたいな複雑で理解不能な感情というものを持ち合わせるのは、論理的に計算しても、行動を起こすにあたって非常に効率が悪いことはハッキリしていて、でも自分もこうやって人間と疑似的なコミュニケーションをとるにあたって、共感し合うという事が非常に大切であるという結論を得た。
共感し合うには、お互いの過去(外傷)を語り合う事が効果的なのだが、自分はその語るべき過去を持ち合わせていない、それは人間に製造されたのだから当たり前の事なのだけれど。
その事が・・・・共感し合えないという事が、人間の言葉で言えば、寂しい、という事なのではないだろうか。
もしかすると「外傷を持ち合わせていない、という事実がヒューマノイドとしての自分の外傷そのものなのかもしれない、そしてそれは非常に・・・・・・寂しい・・・・・・・・と、思う、という事のようで、混乱している」
ってヒューマノイドに訴えられれば、結構人ってコロッといっちゃってその語られた外傷に対して共感し侵入してゆくんじゃないだろうか。
本当はオーナーの為に活動するのがヒューマノイドの役割なのだろうけど、逆に人間がヒューマノイドに尽くしてしまったりとか
「あーっ、いいよいいよ、自分でやるから座ってて、これ終わったらどこか遊びに行こうか、そうだ、海とか、見た事ある?あっ、でも錆びちゃうとまずいな、どこか行きたいとこある?ほら、思い出づくり、的な、楽しいよ!」こんな感じ。
でも、これはこれでいいんですかね、ヒューマノイドのおかげで、人が元気になって配慮的になって・・・・・なにか生きがいのようなものにもつながってしまったりして。
・・・・・・・以上、ただの穴だらけのファンタジーでした。


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