神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


「幸せ」という才能

2017年04月30日 08:51

昨日は迂闊にも・・・・・と言ってはいけないのでしょうが、でもやっぱり迂闊にも、ほろっとしてしまいそうになりました。
一昨日の夕方、ご近所の、母と同年代の方が、あれは多分、遊びに来ていてという事なのだと思いますが、一階のリビングでお茶を飲みながら母と、世間話なのか内輪の話なのか、かなり楽しそうに盛り上がって二人で大笑いしているのを、僕はお客さんが来るのを玄関で待ちながら、なんとなく「声でけー」と思いながら聞いていました、多分二人で3~4時間位そうやって盛り上がっていたんじゃないでしょうか。
その時に、その方が読んだ何らかの本の内容に話が及んだからなのだと思いますが、昨日の午前中、母は留守にしていて僕は二階で来客中で、気が付いたらポストに一冊のエッセイ集とメモが入っていて。
昨日は楽しかった旨と、一緒に過ごせた時間が本当に幸せだった、という内容の事が書かれていて。
僕は何故かこの「幸せ」という文字が思いっ切り琴線に触れ・・・・・・。
本来なら、大笑いして「ああ、面白かった」というだけの事でもいいと思うのですが、その事を「幸せ」という充実にまで引き上げる事が出来る。
幸せ、と認識しなければ、ただ単に大笑いした楽しいひと時、という事で片付けられてしまうだけでしかない出来事に、幸せを認識する事の出来る、なんと言うかこれは、その方の、心の豊かさ。
幸せというものは、それぞれの人の日常の、それはもしかしたら、あちらこちらに、実はちりばめられていて、それを一つ一つ見つけるのは、それを認識実感するかどうかと言うのは、その人次第、言ってみれば幸せを見つける才能・・・・・・とも言えるのかもしれませんが。
これは自分の心がけ次第でどうにでもなる才能のように思えます。
「幸せ」とは、自分から積極的に何気ない日常の中に見い出すものなのか。
勿論、一人でも見いだせる場合もあるのでしょうが、特に、自分と他者との、情緒的交流の中に見い出しやすいでしょうか、時々、誰もが出会うのかもしれません、幸せな時を共有したくなるような相手、同性・異性・年齢差、こういう事には一切関係なく。

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