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「心」って、どこにあるの?
2015年12月04日 19:58僕らは割と普通に「心」って言います。
じゃあ、それってどこにあるの?
どういう仕組みになってるの?
と、なると難しい・・・・。
一般的には、思考であったり、意識であったり、自分自身でこれが自分と認識できる部分であったり。
そういうのを比喩的に「心」という言葉で表してたりするのでしょうか。
心が折れる、心踊る、心が寒い、心温まる、等々。
でも、「心」というのは、そんなに簡単に認識できない、もっと漠然としたようなものだと思う、そんなに一つにまとまっている訳でもないように感じますし。
自分でもよく分からないような湧き上がってくる感情、ハッとひらめく時の「おれって天才?」みたいな感じ、ひと目惚れの感覚、・・・勝手に湧き上がってきた想いに少し遅れて無理やり意味をこじつけるような感じ。
意識できている自分というものが、勝手に湧き上がってきた想いに納得する事ができるように、自分の認識内に収納する為に。
自分で自分と意識できている、もっと奥の方というか、もっと先の方というか、今はもう忘れてしまっている自分自身の過去の経験や想いが蓄えられている場所?なのか、どうなのか?に、なんとなく漠然とあるようなもの、なのかなと思います。
文脈によっては「心」という言葉で表すより「よくわからないんだけど、なんか意識の先の方とかもっと奥の方」と言ったほうが、しっくりくる場合もあるのかもしれません。
僕らが「心」という言葉を発する時、そこにはナルシシズム(健全な)に浸っている自分がいるのかもしれません、もちろん僕自身も含めてという事ですが。
だって、人はそれがないと上手に生きていけないですしね。
・・・こういった事を書いた後は、必ず一文付け足すようにしているのですが、僕は100%無神論に立っております。
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