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ありのままに認識する・・・・とは?

2017年05月28日 08:55

ありのまま・・・・・・人間は目の前で起きている現象を、ありのままに認識する事が出来るのか。
もし、人間がありのままに認識する事が出来るのであれば、それは、その現象を目撃した全ての人が同じ認識をする事が出来るという事になってしまう。
でも絶対にそうはならないですね、認識は人それぞれ全く違う。
それはその人というフィルターを通じてしか認識できないからなのかもしれない。
僕らは、現象を言語によって分節して認識するしかない訳ですし、僕ら一人一人が保有している言語というのは、人それぞれ違うのですし、だいたいが、今までしてきた経験が人それぞれ違うのですから。
言語が違えば認識する過程も方法も、そこから導き出される解答も違う。
だから、同じ現象を目撃した人それぞれ、認識は違って当たり前なのでしょうし、突き詰めて考えれば、ありのままに認識する事が出来る人などというのはどこにもいない。
ありのままの認識というのは、言語を排除した中での認識であり、それが出来るのはまだ言語を習得していない乳幼児だけ、もし乳幼児がありのままを認識したとしても、それは言語化されていない認識であり、観念とすら言いようのないその場限りの得体のしれぬ認識なのかもしれない、それを人に説明する事は不可能、言語を持たないのですから説明しようがないですね、だからこそ火のついたようにヒステリックに泣き続ける事もあったりするのでしょうが、伝える方法はそれしかないのでしょうしね、感情を爆発させるという方法しかない。
言語を排除した中での「ありのまま」というのは、たぶん想像するに・・・・・・迫ってくる、覆いかぶさってくる、感覚した瞬間に精神が痙攣するしかないような、自分の精神が制御不能の中で動悸し続けるしかないような抵抗の出来なさ・・・・・こんなような言葉でしか言い表せないような何か、のような気もします。
だから、ありのままなどという事にとらわれる事なく、自分なりの認識を楽しみながら、生を満喫すればいいだけ。
僕らは現象を自分というフィルターを通じて自分なりに認識するしかない、そしてその時、現象に対しての、あくまでも、自分なりの現実が浮かび上がるだけ。
だからこその、見方は一つじゃない、視点を、見方を、変えてみるというのが有効な場合もあるのでしょうし、その時に必要なのは、新たな言語の入力であったり、奥底に忘れられていた言語の掬い上げであったり・・・・・その程度の割と単純な事であって、全然難しい事ではありません。
すみません、理路整然と書くのが好きではないもので、適当な独り言のような表現になってしまっていますが、でも啓蒙が目的ではない訳ですし、いいのかな、と思います。
カウンセリングの時はこんな訳の分からない話し方はしないです。
僕にとっては、ブログというのはもしかしたら多分、俗に言う郵便的なものに積極的に参入した中で無理を承知で抗う場、カウンセリングというのは目の前の人と共有する場、だから全く別のフレームです。


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