神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
いかにも症状のような・・・
2015年10月26日 20:36僕個人は、社会的には自分は取るに足りないちっぽけな存在である、という認識でいます。
ーーこれは「自分なんか」という自虐ではなく「自分は」という客観視ーー
それなりに、社会的な役割を持ちながら生きていて、でもそれは、いつでも他の誰かと交換可能な、その程度の存在でしかない。
自分がいなければ、すぐ替わりは現れる、どんなことだってそうです。
企業内にしても「お前がいなくなったら困る」と聞かされると、その言葉は喜びにつながる時もあります。
じゃあ、いざ自分がいなくなったらどうなるのかというと、一瞬のあわただしさの後、何事もなかったかのように機能する。
弱くなる為の、または自虐にはしる為の、ちっぽけな存在という認識ではなく、これを認識した上で、ともすれば弱くなって、あきらめてしまう自分に「どうせお前はちっぽけな交換可能な存在でしかないのだから、まあ、やれるだけやってみろ」というような。
誰にとってもそうだと思いますが、社会的な立場というものは誰も保証してくれませんし、そこには何者にも保障されていないちっぽけな自分がいるだけ。
何者にも保障されていないちっぽけな取るに足らない自分、だったら自分が強くなるしかない・・・、ベタな言い方をすれば、こういう事なのかな。
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