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お金がフェティッシュになりうるかどうか
2018年04月07日 19:48起業でも会社での出世でも、なのかな、そうじゃないか、これは殆どが起業の場合、あとは個人事業主とかフリーランスとか法人なりした社長とか、超零細や一人社長とか。
仕事を頑張る、仕事が増える、充実の中で夢中でこなし続ける、そうしているうちに忙しさに比例するように収入も増える。
収入が増えるとお金の使い方が徐々に変わってもくる、昔は必要なものを買っていた、それに対して今は、このお金で何を買おうかな、何に使おうかな、みたいな事にもなる、お金を使う事自体が目的になってくるという事なのかもしれませんね・・・・・ただ、お金を使う事は成功の証であると、確かに言い切る事ができるのか。
欲しかったブランド、欲しかった時計、欲しかった住居や自動車、美食、大して興味がある訳でもないステータスとしての趣味、手にした瞬間にある程度は満足を感じる事はできますね、達成感も得る事も出来る・・・・・・達成感、それはまあ、目標が失われたという事でもある、達成感を感じるという事は何かを達成したように感じるという事であり、それは目標が喪失したという事、達成感と喪失感はセットになっていますからね。
何を買っても、どんなに美味しいと言われるものを食べたとしても、慣れてしまえばその行為の先に感覚するのは、得体のしれない虚しさであり空虚。
そもそも何の為に起業したのだろうか、何の為に頑張ったのだろうか、世間一般に対する優位性を感じたかった訳ではない、世間一般に羨ましがられたかった訳でもない、成功のその先で、その象徴としての持ち物や美食をひけらかして自慢したかった訳でもない、自分を満たす事が出来たのはほんの一瞬だけだった事にも気が付く。
ある程度のレベルまで来た時にこういう感覚に陥る人というのは、ただお金儲けをしたかったわけではないのでしょうね。
お金がフェティッシュになりうる人と、そうではない人というのは間違いなくいらっしゃいますから。
そうではない人の場合、その虚しさの先をどうするか、新たな高い目標を掲げる人もわずかにはいらっしゃる、守りに入って貯蓄に励む中で先細りに不安を抱き続ける人も中にはいらっしゃる、退屈に耐え続ける人も少しはいらっしゃる、一旦投げ捨てて次の夢中を探す人も勿論いらっしゃる。
一旦成功したように感じる事が出来た経験、これは全く無駄だった、という事はないです、お金が全てじゃない・・・・・・の片鱗くらいは実感する事ができたでしょうし、これだけでも経験しないよりは経験できてよかった、今は燃え尽きて、空虚に浸っているとしても、それは人生の中のほんの一瞬の小休止。
そういえば僕は若い頃から「自分は水だ」とか何の理由もないままに漠然と、しかし明確に揺るぎなく思っていて、これは、一か所に留まり続けると腐る、という意味においての、水という感覚です。
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