神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


かっこ悪さを引き受ける

2016年12月01日 07:55

これはもう、普通に一般的な話として・・・・・・・・・。
「ヤダッ」「もうできない」「もう知らないっ」「こんなのやりたくない」「かっこ悪いからヤダ」「なんで我慢しなきゃいけないの、ヤダッ」
人生を重ねてゆくうちに、いつの間にか多くの事がぐちゃぐちゃになって、沢山の糸が絡み合って、それでも先に進もうともがくのだけれどうまくいかなくて、全てを投げ出したくなる時、叫びたくなる時、ちょっとでも気を抜くと途方に暮れてしまいそうな時、ほんとは感情に任せて思いっ切り弱音を吐きたい時。
子供みたいに泣いて、駄々こねて、癇癪起こして・・・・・・こう言う身振り(この前段階が弱音はいたり、ちょっとふてくされたり、思いっ切り甘えたり・・・)が必要な時というのは、大人になってからでも確実にあるのだと思います。
さまざまに成長してきた自分、その自分が成長する以前の原点に戻る。
その時の心性に戻って、途方に暮れて、子供のようにというか子供として号泣して、そこで何かをリセットしてからではないと、前を向けない。
「恥」などというくだらない概念が無意味になる場所であり必然的に排除される場所、何の役にも立たない世間体のようなものを捨て去る快に浸る事ができる場所・・・・・・ここに戻るのは、理性的な人ほど躊躇する、恐怖を伴うのだと思います、大きな勇気というか度胸や開き直りが必要なのかもしれません、でも、ここに戻ってさらけ出してからではないと、なにひとつ始まる事はない、という事態は間違いなくあるように思います。
逆に考えれば、かっこ悪くて、みっともなくて、そこに戻れないという事なのであれば、それは戻れないのではなくて、戻る必要がないという事、そこまで極限的な状況ではない訳で、そういう時は理性的に落ちついて、そして情緒の移り変わりも気にかけながら対応してゆけばいいのですね。
・・・・・・僕らの根底というのは、この程度の子供の心性でしかない、言ってみればカッコ悪いものでしかない、と僕は思っていて、そのかっこ悪さを引き受けた上でなければ、本当に強くはなれないというか、でも、だからってこれを人に強制するのは間違っているのだと思いますし、だからそうした方がいい、そうせざるを得ない衝動に突き動かされる、という人だけがそうすればいい訳で、そしてそれはある意味特権的な経験として理想的な自己愛を効果的に形成するもの。
仮に世間一般というものがあるとして、その世間一般からは、かっこ悪い事であるように考え違いをされている事、恥ずかしい行為であると誤って認識されている事、それを表現したい衝動に駆られる、そしてそれを表現する事というのは、その先で強くなる事が目的であり、それは間違いなく、かっこいい事・・・・・やりたくても無意味なプライドのようなものが邪魔をして腰が引ける、という場合もある中でという事ですから。
何度でも弱音吐いて、気が済むまで泣いて、その瞬間だけはプライドは捨て去って、納得がいくまで、それはいくら時間や期間がかかってもいい事で、その先で強くなればいいだけですし、多くの場合自然と徐々にそうなっていきますし。


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