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かわいいという彩り

2017年07月15日 08:57

「かわいい」という言葉を連発すると、言葉が貧しくなってきているように思われがちなのかもしれませんが、決してそんな事はない、そんなステレオタイプで語れるものではない、みたいな事を、少し思います。
「かわいい」の射程はどんどん拡大している、世の中を見渡してみた時、ちまたには実際に「かわいい」としか表現しようのないものが溢れている訳ですし。
その「かわいい」としか表現しようのないものに対して、それは消費社会の中で提案され与えられたものに対してのみ当初は「かわいい」という表現を、そこでは、迎合の身振りも含めて使っていたのでしょうが、それが徐々に与えられるものから見出すものに変わってきた「かわいい」が既存の領域に浸潤してきた、それはある種の逞しさを伴って。
今は多くのものに「かわいい」を自発的に見出すことが出来ます。
「あっ、見て、これかわいいっ」と瞳孔が拡がる時、その「かわいい」という感覚はどこに接続されているのか。
「かわいい」・・・・・琴線に触れる・・・・・キュンとなる・・・・・キュンとなる感覚を媒介しているものは、セクシャリティ・・・・・キュンとなる時、その対象をポップな態度でフェティッシュとみなす・・・・・少し前からある言葉で言えば「萌え」
今の時代はさまざまなものに「萌え要素」を見出すことが出来る、それはとてもいい時代。
素直に「かわいい」と思える事、それは心に余裕がなければ不可能なことですし、豊かな情緒も必要になるのでしょうし。
日常のさまざまなものに「かわいい」を積極的に見い出せるというのは、とても幸せな事なのだと思いますし、とてもいい事なのだと思います。
「かわいい」と言っている人が可愛く見えてしまうのは、こんな理由もあるように思います。
かわいいを感覚する事の出来る日々、日常にちりばめられている萌え要素、フェティッシュに囲まれ続ける事の満足、ファンタジーと共に。
敢えて日常にこれらを見出し、変哲のない日常に彩りを与えるという工夫。


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