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これは大文字である

2018年02月02日 10:09

これもどうなのかは分かりません、単なるイメージでしかないのかもしれませんし、そうではなく本当にそうだったのかもしれませんし、僕らはその時代を生きて実感する事はしていないのですから、やはり本当のところはその時代を生きた方々に聞くのが一番なのでしょうが、ただそれもその方々個人個人の自己愛に基づいた、自己肯定の作法の一種でしかない訳で、だからそれもあてにはならない。
昔は、と言っても昔というのはいつを指しているのか、人によっては昔をいつまでも引きずっている訳ですから、極端に言えば今すらも昔の人だっている、ただ、一般的には、それは昭和なのか、20年前なのか10年前なのか、基本的には幻想に気が付く以前という事、そのタイミングは人それぞれ違う、高度成長の時代に既に幻想に気が付いていた方もいらっしゃったのでしょうし、バブル崩壊の絶望と共にとか、リーマン以降とかITバブル以降とか、個人的投資での損失以降とか、やはり人それぞれ。
と言いますか、何の話を書いているのだか、ただ勢いで書きなぐってしまっていますけれど。
その「昔」と言われる時代には、みんなが同じ方向を向いていればそれで安心できた、本当のところがどうだったのかは分かりませんが、取り敢えずはそんなふうに言われている、みんなと同じ方向を向いていれば何となく保障されているように感じる事も出来たのか、空気という無意識による保障であったり、大文字による保証であったり。
いつの頃からか大文字が消失した・・・・・ようにうっすらと感じるようになった、空気がざわめき始める、見るべき一点の方向という、幻想としての正解がなくなってしまった、なくなってしまったから・・・・・・・どこを見てもいい事になった、どこを見てもいいと教育される、どの方向を見てもそれはその人の自由になった。
そんな中で独自に、どこかの、自分が見い出した方向を見る、そこに向かって自分は進む、細分化されたさまざまな方向が存在する中で、一つの方向を自分の意思で選択して行動する、その時その行動その方向その仕方は、誰が保障してくれるのか、昔のようなみんなが共有している空気も大文字も存在しない中で。
自分で自分を保障し続けるというのは、まず無理な事、順調な時は勿論大丈夫でしょうけれど、何かが起きた時、迷いが生じた時、岐路に立った時、自分の行動を保障してくれるものがない事にはやはり不安にもなってしまう、これはどんなに自信に満ち溢れているように見える人でもそう。
小さな物語が乱立する今の時代、昔のような幻想としての大文字ではなく、自分独自に見出した、自分が「これは大文字である」と認定したものに保障されて行動し続ける事だけが、安定につながるのだと思います、自分独自の大文字を見出すしかない。
今の時代は昔のような大きなスケールの人物がいない、とか嘆かれたりもしますけれど、見る方向が昔は一つだったのに対して今は細分化されているのですから、大文字の大きさも昔に比べて何十分の一に縮小されているのでしょう、ただ、昔のスケールの大きさというのもどうなのか、綱渡り的無謀さに突き動かされていただけ、という場合だってあったのでしょうし。
昔の、幻想としての大文字に対し、今の時代の、自分独自に見出すことが出来る具体的な大文字・・・・・・その具体的な大文字に保障される事で安定を手にする、そして見出す大文字というのはスピリチュアリズムやシャーマニズムやオカルティズムを排して、あくまでも現実的である方がいいと僕は思います、これはあくまでも僕はという事、だから、まあ人それぞれでいいのだと思いますけれど、なにに親和性があるのかというのは人それぞれ違いますし。
僕が思うに、なんというか、常に自分を確認し続ける事ができる、オーギュストのような人との対話とかも理想なのかなと思いますが、従う為じゃないです、自分もそれになり、それを超える為です。
僕ら一人一人は、かなり弱いですから、自分は強いと思っていたとしても、一旦迷いが生じ始めてしまったらそれはどんどん増幅してゆきますしね、強い人の中を覗いてみると葛藤で今にも崩れ落ちそう、という事だってよくあります。

・・・・・いつも思考の過程を書きなぐっているだけなので、なにもまとまっていませんし、本当はこういうのは下書きみたいものなのかもしれません、この後に何を伝えたいかちゃんと整理して分かるように清書とかするのかもしれませんが、だから分かりづらくてすみません。

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