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さまざまに利用される・・・・食
2017年09月24日 17:12日々生活している中で人と接し、対応し、ある程度は自分を抑えて我慢しながら。
そうしているうちに精神は疲れてくる、精神の緊張が高まったままにもなってくる。
高まった精神的緊張は随時解放した方がいい、ストレスの解消とかストレスの発散とか言われますね。
ストレスの発散解消の為のツールというのは、消費社会の中でさまざまに用意されていますから、多くの場合それらを用いるのでしょう。
・・・・・・・いや、こんな一般的な事はどうでもいい、そういう事ではなくて、孤独感や不安感の中で頑張って他者と接する、緊張が高まればセンシティブにもなるでしょうし、人から投げかけられた言葉に大きく傷つく事もある。
高まった精神的緊張を、消費社会で用意されているツールを用いてではなく、自分独自の方法で開放する人もいる、それは誰にも迷惑をかけない中で一人で、自己完結するように。
人から気づかれにくい形での自傷であったり、嘔吐や過食嘔吐であったり、他にも様々な工夫がありますね。
ストレス解消目的で他者にハラスメント的な態度をとる人も多い中で、決してそうはせずに自己完結しようとする、全てを自分で背負い込んだ結果としての自傷であり嘔吐や過食嘔吐。
これはなにか、すごく、思うに、受容されるべきだし、理解され守られるべきなんじゃないだろうかと思います。
ところで、上記からは話が逸れますが・・・・・・・・・食というのは最も身近であるがゆえに、さまざまに利用されます、自分にとって最重要の事柄だけに目を向けている事を表現するために無意識的に食を敢えて疎かにするというのもありますし(ストイックの文脈もそうですね)、食を拒むことによって自分自身が自分の欲望や身体そのものをコントロールしているという満たされた感覚に浸るというのもありますし(これは逃れられない環境下で自分を保つための究極的抵抗である場合も)、もっと浅い領域だと激辛的な自傷もありますし、ひとそれぞれ、さまざまですね。
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