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したたかな心

2017年06月09日 08:31

なぜ心は折れるのか、心というのは硬いものだからとか、極限までは我慢するものだからとか、美徳なのか潔さなのか。
折れた事によって、やり切った感やある種の爽快感や納得が芽生えるのなら、それもいい。
て言うか、心とは硬いものであるというイメージを持たないほうがいいのか・・・・・・硬い・・・・折れる・・・・当分使いものにならない、こんな認識も無きにしも非ず。
じゃあ、どういう心がいいのか、よく分かりませんが、そしてニュアンスでしかありませんが、変幻自在の心とか、あとは、リゾーム的な心とか、幹を持たずにうねり続ける心とか。
自分を曲げないからこそ折れるのか、でも納得のない所で自分を敢えて曲げる必要はないのでしょうし。
曲げるのではなく、飲み込むとか取り込むとか、鋼ではなく粘土的な心、粘土の中に何でも取り込むというか、喰らい尽くす心、したたかな心、柔軟に形を変える柔らかい心。
そうだ、心に潤いをとか言いますね、鋼に潤いを与えたら錆びるんじゃないでしょうか、粘土は放っておくとカピカピになりますね、だから粘土、消化吸収が可能な粘土みたいな心にこそ与えるのが、潤い。
柔軟な心、しぶとい心、喰らい尽くし取り込み続け自分の血肉に変換しようとする心、常に形を変え続ける心。
粘土的な心、なんかイメージよくないな、じゃあ、アメーバ状の心、スライム状の心、もっとよくないですね、取り込み消化吸収する心、何の話だかよく分からなくなってきました・・・・・・・常に形を変え続けるしたたかさを有した心。
潔さVSしたたかさ、人に感動を与えるのは潔さ、とりわけ、分かりやすい潔さでしょうか、でも、したたかに生き延びる、したたかに成長増大する、これもいいと思うのですが、したたかって言う言葉のイメージがよくないのですかね。

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