神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


それがあった場所へ

2022年01月04日 10:30

古典の辺りまでのクラシック音楽には勿論、どうしても神を感じてしまうというのは構造的に当然の事なのでしょう、聴いた瞬間に思考の斜め上空に神を設定してしまう・・・・・・・ロマン派になると人を設定しているでしょうか、だから気軽に聴けてしまう。

ああでも、古典あたりになると対象が神という限定ではなく宇宙に広がっているかのような、だから教会の厳かな天井から、それを突き抜けて星空の彼方までの拡がり。

バロックは聴くと様々な効果がありますね、その、効果の原因というのは現代になって神が不在になった事。

バロック音楽を聴いても神には対峙出来ない、その神の場所に自動的に設定されるのは自分でしかない、これは自分の小ささと向き合うしかないという事なのだと思います。

「私達は、それがあった場所に常に立ち返り続けるべきです」という意味合いの事をラカンが自明として言っていた、これは言語獲得以前のただの生命でしかなかった純粋な自分が、徐々に言語を獲得して社会性を得るようになる前後の時期と、今の時代は解釈するのがいいのかなと思っています。

幼児にとって大人というのはベールの向こう側の存在、ベールの向こう側というのは社会活動の場、社会活動に参加するという事は、様々な規定を被るという事、がんじがらめにされて窮屈で、動きが制限される事と引き換えに、自分も大人たちがいるベールの向こう側へ、一歩踏み出す、踏み出してから今まで自分が元いたベールの方向を一度も振り返らずに誰もが夢中で生きてきている、ベールに守られていた場所というのは究極の癒しの場だった。


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