
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
たやすく断定されたくはない
2016年07月16日 20:34カウンセリングの文脈だけに限った話では無いとも思うのですが。
自分が苦しい時、誰だって・・・・と言っていいのかどうかわかりませんが、少なくとも僕が知っている人達は、と言った方がいいのか。
一通り自分の状況を話しただけなのにもかかわらず、いきなり分かったような顔をされたくはないんじゃないのかな、なんて事を思います、究極的にはということですけどね。
分かったような顔という事は「それは話を聞いた人なりに理解・了解した」という事につながったり、力関係の構築につながったりする訳で、そこでは何らかの・・・・それは、そう、慰めであったり、提言であったり、自分の経験に落とし込んでの励ましであったり。
それはひとつ間違えると、苦しんでいる人をあらぬ方向へ、もしくは孤立へ追い込むことにもつながってしまいます。
だから、分かったような顔ではなくて、分かろうとし続けて耳を傾け続けようとする態度、という方がいいんじゃないのかな、と思います。
そういう中からしか、徐々に核心に近づく事はできないのかもしれません。
カウンセリングの文脈に引き寄せて、少し深い話をすれば・・・・。
自分を傷つけてしまう事の理由についても、一元的に語られる事もありますが、決してそうとばかりは言えないんじゃないのかな、と思っていて。
人によっては、他人に気付かれないように自分の感情を自分一人で処理し続ける為になされるギリギリの努力ですらある場合もあるのだと思います、勿論それは徐々に解消していった方がいいことには違いないのですが。
誰だって・・・・と、これまた言い切っていいものかどうかわかりませんが、それぞれの環境の中、定型に当てはまる事ばかりではない複雑な想いの中で生きているのですし、だからこそ、さらっと断定されたくはないし、簡単に分かったような顔をされたくはないのだと思います。
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