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みんなと同じ 人と同じ

2017年06月15日 08:34

「みんなと同じように、人と同じように」と言う時のみんなや人というのは、その昔は多くの人が同じような価値観で生きていたのだろうから、一般論化された時代の空気・・・・・・時代の空気とか常識と言われるものに従ってさえいればよかったのかもしれない、レール上にしても逸脱にしても、次の段階では当然こうする、みたいな流れも存在した、ただみんなや多くの人が向いている方向を自分も向いていればよかった・・・・・・そこでは多分、大して疑問は抱かずに。
今の時代はどうなのでしょうか、その昔に当たり前のように語られていた人生の在り方であったり、考え方や常識や価値観、こういうものについて多くの人が、それは幻想であると、又は掴み取れるか掴み取れないかはただの確率の問題でしかないのかもしれないと、気が付いてしまっているのだとしたら。
人の在り方、常識、人生のスタイルのモデルケース、こういうものが昔のように大枠で一つに限られているのではなくて、さまざまに用意されている、大きな物語りが消滅して、多分これは消滅するしかなかったから、必然的に消滅したのでしょうけれど。
その大きな物語りが消滅して、小さな物語が、でもこれは質的には向上している小さな物語が、そこかしこに点在している。
だから、みんなや人と同じようにしようとするだけでも、そこにはそれなりの選択が必要になる、物語の選択という自分の意思が要求される、社会を見渡してみた時、そこには向いている方向が違う人々が沢山存在したりもする。
何の疑問も抱かずに従っていられた時代(その結果は無難か逸脱かなのかもしれませんが、それすらも自明で)、参入する物語を選択しなければいけない時代、選択が多いと動けなくなってもしまいますね。
「みんなと同じ、人と同じ」にするには、まずはどの「みんなや人」を選択するのか決めなくてはいけない・・・・・自分は自分、そしてその自分はどうしたいのか、という選択の一つは、実はこんなような選択だったりもするように思います。

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