神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


ゆったりと流れる空気の中で

2017年10月27日 20:30

カウンセリングの場の空気というのはなるべくなら、ゆったりと流れた方がいい。
人それぞれの性格にもよるのでしょうが、矢継ぎ早に、ほとばしり続けるように発せられる言葉、それはたくさんの想いを抱えているのですから、まずはそれを吐き出す為にそうなるしかないとう場合も。
ほとばしる言葉、急かされるその人の精神、そういうものが徐々に収まり始めてから、抱えている何らかの想いについてお互いに話し合えるようになる、それはそうですね、ほとばしり続けるという事は、話している中で重要なワードや疑問が出てきたとしても、それすらも置き去りにしたまま話は一気に進み続けるのですから、そしてそのワードや疑問は彼方へ押し流されてゆく。
話が一段落すれば多くの人はせっかちではなくなる、そこから改めてもう一度少しずつ話したり回想したり、そんな中で肩の力を抜いてリラックスして、そういう状況からしかいいものは決して生まれてこないですし。
急かされた中でのアドバイスなんか全く意味ない「はい、それはこれこれこういう事ですね、だからこうしてみるといいですよ」というのは、その人の問題を簡略化して切って捨てているだけでしかない、表面的な分かったフリなのであればそれでいいのですけれど、しかし、多くの付帯要素を取りこぼした結果というのは目に見えてる。
ほとばしって、一息ついて、落ち着いてリラックスして、ゆったりとした静かな空気が流れ出して、一つ一つについてゆっくり話し合う、そこからしか何も生まれないのだと思うのですけれどね、実際にそういう流れの中にある人の状況というのは好転し続ける訳ですし。
もちろん、ほとばしって一息ついた時点で満足なさる方というのもいらっしゃいますが、それはやり場のない想いをぶちまけたかった、という事なのだと思います。
ゆったりした空気が流れ出してからの信頼関係の中でなされる会話と言うのが、効果的ないいカウンセリングを生むのだし、それは僕もとても楽しみな空間。
逆説的に言ってみれば、話す事がなくなってからがカウンセリングという事なのだと思います、また、そうではないと、その人の人となりをきちんと把握しない事には、不用意な事は一切言えませんし、それは無責任でしかない訳ですから。
長い間抱いていた苦しい想いを、ほんの数時間で解決してしまったとしたら、それはとても素晴らしい特別な能力という事で間違いないと思います。
ああそう、悩んでいる人よりあまりにも強すぎてもダメ、同じように弱ってもダメ、同じように弱る事と共感は別物、その人より少しだけ強く、多分これはチューニング、自分をその人の状態より少しだけ強くチューニングし続けるのがいい。
強すぎる人を前にすれば、それは疲れるしウザい、全く同じように弱り合ってしまったらドツボに嵌るしかない。

—————

戻る