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アイデンティティ≒クロニクル

2021年10月03日 20:59

3歳迄に80%12歳でほぼ100%完成するらしい脳...その脳を水の通う回路と表現しているのを聞いたことがあります。

脳というのが僕らがイメージする回路であるとするならば、回路には電気信号が流れる、それは様々なデータ、データとは経験、自分が見聞きしたもの 、自分が学習したもの、自分が経験したもの、自分が感覚したもの 自分に侵入した刺激の全て、そして侵入を拒み跳ね返した刺激の全て。

その膨大なデータの集積が自己という事になるのか、どうなのか、というかそれは単なるアイデンティティ、自分を自分足らしめている単なる自己同一性、という意味でのアイデンティティでしかないように思え、ではそのデータが走査するプラットフォームとかハードこそが自分・・・・・・・・・と言い切ってしまったらそこで可能性が差し止められてしまうようにも思え。

自分のクロニクルにアイデンティティは見出すことが駅るのだけれど、アイデンティティはクロニクルに依存するという格好でしか成立しないのだけれど、それは丁度、スキゾという病理がそうであるように。

思考の傾向、なにかこれこそが自分であるように思えなくもないですが、その傾向はどのように形成されたのかというと、元々の資質とか持って生まれた気質とか、要は遺伝子に組み込まれた傾向が生育環境の中で発動されて、それがその人の定型的反応傾向として確立さて、徐々に性格というものが浮き彫りになってくる・・・・・・・・・性格こそが自分・・・・・・・・その性格の元となったのは遺伝子・・・・・・・・じゃあ遺伝子こそが自分とか、唯物論的に言えばそういう事なのかもしれませんが、でもやはりこれも加㎡可能性の差し止めになってしまう。

可能性の差し止めを拒絶したい自分、というこれは自己愛の効果ですね、もしかしたらその、自己愛こそが自分という事でいいのか、自我の中核を成しているナルシシズムこそが自分、ああまあそうなのでしょうね自己愛が怖気づく、だからこそ何も明確にせず、何ひとつ結論付けないままに最も重要なものに向き合う覚悟から目を背け・・・・・・・・・・・ああ、なんかおかしな方向にしか行きつかないように思えてきましたので、もうやめておきますが・・・・・・・・・・結局は心と言う概念を持ちだすしかない事は誰もが薄っすらと分かっている、その心というものは単に思考が作りだした、それは自己をつなぎとめるためであったり、破綻を免れるためであったり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こういう事を言いたかった訳ではないのですが・・・・・・・・まあ、誰もが臆病ですから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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