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アニメを読む
2018年08月27日 10:59僕の周りには社会的立場もかなりしっかりとした、そして十分に機能し続けているアニメ好きの大人がかなりいるのですが、だからいろいろと薦められもします、知による変換も必要なアニメ。
アニメ、少年期青年期の、まだ完成以前の若者が思いもよらずに巻き込まれるところから始まったりもする。
はじめは戸惑いながらも、徐々に状況に適応し始め、それは時にボーダー的に、秘められた能力を発揮し始める、血のにじむような修練の先でとかそんなような文脈ではなく、元々の能力が外からの刺激によって開花する。
僕はこういったストーリーというのは、人間の在り方を象徴しているかのように思える、何の努力もなしにそんなことが出来るわけない、と言い切ることは決して出来ない、成長に必要なのは葛藤、努力などという陳腐はその後から当たり前の自然体としてオマケのようにしてついてくる。
まあファンタジーですから開花された能力というのは通常は在り得ない、それはそう、物語りですからね、ただその構造は僕ら人間の本質を絶妙に突いているように思えるのです、だから単なる夢物語ではない。
潜在性、それは今は科学に置き換え可能なのかもしれませんが、だから遺伝子に刻まれたその人の特性、その特性というのは今はまだ開花もしくは発現されないままに、その人の潜在性として奥の方で眠っている。
その潜在性を開花させるのは、環境からの刺激、環境からの刺激が自分に入力される事によって自分の潜在性のどれかが目を覚まし発動し始める、大袈裟な昔の言葉で言えば才能の開花、とか言われる現象なのかもしれませんけれどね。
潜在性は誰だって持っている、誰だって何らかのというか多くの潜在性という、才能を持っている、それを発現起動させる条件は外部からの刺激、自分がなにかと関わる事、それはできれば、インパクトのある何かと。
まるでドゥルーズの延長線上のような世の中として。
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