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アポトーシス、的な。
2018年06月18日 22:15トラウマ、心の傷、心的外傷、心的組織に傷を負う事、自分が記憶していない傷というのもあるのだろうし、鮮明に記憶している傷もある、抑圧否認し続けている効果として症状に転換されたものもある。
人が生まれて一番初めに経験する心的外傷は、産まれた直後に外気に触れた瞬間の窒息様状態とか言われる・・・・・・・で、オギャーと叫びながら肺で呼吸をとか。
その後も自我が芽生える以前にも様々にあるのでしょう、乳児期のパラノイド・スキゾイドポジションもそうだしフォルト・ダーもそうだし、あと代表的なものではエディプスというか去勢という数々の経験。
そういうイベントとしての心的外傷全てを例外なく順序立てて経験する事によって、心的組織が堅牢度を増してゆく、形を変え成長してゆく・・・・・・・・というセリーはどこまで射程を広げる事が可能なのか、あの、オタマジャクシのシッポが切れてカエルの形態になってゆくような、アポトーシス的なイメージとしての。
遺伝子スイッチの代わりに定型の外傷を刺激として心的組織が形を変えつつ成長してゆく、充実してゆく。
どこまでを定型と見なすのか、それも人それぞれの受け取り方次第、勿論通常の成長や生活の中で受ける事が予測されていない外傷は全く別として・・・・・・昔流行った言葉で「想定内」というのがありましたけど、折れない心で「いやいや、想定内っす」と言い切ってしまえばそれはアポトーシスのフレーム内に収まるという事でかまわないのか。
外傷をアポトーシスと見なすには、という事をここのところ少し考えていました。
間違ってもネクローシス状態にはしない方がいいのでしょうし。
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