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ウイルスの正体 言葉との共存
2016年11月13日 09:16昔、何かの小説で「水の通う回路」という言葉がありまして、その時の文脈からして脳の事を言っているのだろうなとは思ったのですが、人体の70%は水分で・・・・とか言われますし。
回路というと、コンピュータを連想してしまいます、と言ってもコンピュータは通常は誤作動しないのでしょうし、当たり前のように感情などというものはないのでしょうし。
コンピュータが誤作動する時は、ウイルス感染とか。
コンピュータと脳を対比した時、その誤作動の部分が「人間らしさ」という言葉で表現されたりするのでしょうか。
コンピュータも、そう、ウイルス感染というのは・・・・・・なんでしょうかこれ、人間の脳が誤作動する時も、もしかしたらそれはウイルス感染が原因・・・・・なんて事を言ってしまうと、そのウイルスとは何なのかと考えると・・・・・それは言語そのものであったりして。
言語がなく、動物的な記号のやり取りだけなのであれば、そこには誤作動の発生する余地はなくて、刺激(記号)の入力によって遺伝子的に反応は決まっているのでしょうし(決まりきった本能みたいなものでしょうか)。
言葉の入力というのは、そうですね、言葉は元々隠喩的なもので、意味は一つではないですし、どうにでも解釈出来てしまう訳だし。
だから解釈の仕方一つで、というか解釈は一つではないからこそ、その入力された言葉に対する反応に、唯一の正解というものはない場合も多々あって、じゃあ、僕らは常に誤作動し続けている、そしてそれを指して「人間らしい」みたいなイメージになるのか。
そうだ、様々な感情を生み出すのも言葉ですね、こういった感情というのも「人間らしい」と言い表される、じゃあ、人間らしさ≒言葉、多少はこうも言えるのかもしれないですね。
人間は常にウイルスに感染し続けているからこそ誤作動し続けて、そのウイルスの正体というのは・・・・・・言葉・・・・・・・なんちゃって、と一応付け加えておこうと思います。
僕らは言葉と共存?し続けるしかなくて、飼い慣らす事が、たぶんやっぱり、難しいもののようにも思え・・・・・・という、ただの屁理屈にお付き合いいただいて、どうもありがとうございました。
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