神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
エディプスの向こう側で
2022年01月19日 15:19母と娘という関係も色々に言われるけれど、それと同じくらい父と息子という関係にも多くの葛藤が含まれているように、今となっては思えます、それはエディプスなどというシミュラークルが入り込む余地がないくらい濃密な関係の中で。
この濃密さというのは、常に交流を欠かさないとか、頼り励まされ成熟を後押しされ・・・・・・という正当な濃密さではなく、会えばぶっきらぼうな挨拶しかしないとか、お互いに気にかけながらも恥ずかしくて優しさを上手く差し出せないジレンマとか、気持ちは常にお互いの方向を向き合っていても、それを上手に表現できない事に対するもどかしさを全力で否定するかのように「自分は別に気にもとめていない」という、傍から見れば、みえみえの格好悪さに嘲笑を買いつつ。
いつまでも、とは思っていなかったけれど、その時というのはまだまだ先だと思っていた、今までの時間はこれからいつか、取り戻すのだろうと漠然と思っている中で、親父というのはいきなりいなくなったりします、こえは本当に取り返しのつかない事だし、今までの全てが後悔でしかないし自分だけを責め続けるしかない、何故あの時そっぽを向いてしまったのか目を逸らせてしまったのか、二人きりの気まずさから不機嫌を装ってしまったのか、何故あそこで会話を切り上げてしまったのか。
二人きりの室内、別の方向に視線をやり続ける、気まずさ、恥ずかしさ、エディプス的もう一つの要素が消滅した中で対峙しなくてはいけない気恥ずかしさ。
究極的にはいなくなったのちに、もっと話せばよかった、もっと笑い合えばよかった、こんな風に思わせてもらえると事というのが、幸せな事なのもしれません・・・・・・・・・・・・一番いいのは、エディプス的シミュラークルを蹴り飛ばした先で、気恥ずかしさを乗り越えて、お互いに認め合い、笑いながら話し、理解や尊敬を深められる事なのでしょう・・・・・・・・・まあ、父と息子、素直になれなくて普通だとも思うのですが、あの人達というのはほんとに、いきなりいなくなりますから。
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