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カワイイの精神分析、的な。
2017年12月31日 10:25食べもの屋さんで非常に強い香水の香りが、ココナッツ、あれはジャンヌアルティスのセクシーココナッツの香りだったと思うのですが、その香水を、まあ、つけ過ぎではあるようにも感じたので、その小さな子供を連れた二人の女性の近くに座っていた人達は顔をしかめていた事は確かですけれど。
僕はその女性たちがとてもカワイらしく感じました。
性器的欲望の文脈を敢えて逸脱した時、カワイイとは何なのか。
多くの場合、性器的欲望にかられて男性側から発せられますね「カワイイね」と。
その欲望の外側ですら認識可能な、可愛い。
強すぎる香水、完璧に仕上げた濃い目の化粧、そして自分を可愛く装飾する事が可能な衣服・・・・・・何故それらで自分を表現しようと思ったのか、それは、カワイく見られたいから、カワイイ自分で在りたいから・・・・・・根底にその強い想いが存在する、という事は仕草や視線や笑い方も、自然とその人の思うカワイイを表現するという事。
カワイくありたいからこそ自分の思うカワイイを表現する、その結果その人は自然とカワイイ仕草をする。
その時にはある種の、倒錯、これは倒錯の領域に入り込んでもいる、だからちょっとチグハグにもなる、ちょっとだけ、ずれる、化粧がまだ上手ではなかった子供の頃、鏡とにらめっこして一生懸命化粧して自分を彩る、その時そこに存在するのは自分と鏡の中の自分だけ、近視眼的にもなって出来上がった化粧を客観視してみると、ちょっとしたずれを感じる、それは普通はもしかしたら失敗と認識されるのかもしれませんが、これも近視眼的な中での倒錯のなせる技、でもそこに確かに存在する唯一の想いは、カワイくなりたいという強い想い・・・・・ズレこそがカワイイを生み出すとすら言える。
近視眼的、倒錯、自分に没入してゆく、その時その行為の原因というのは間違いなく、カワイくなりたいという強い想い。
その想いが根底にある限り、どんなに香水が強すぎようとも、どんなに化粧が微妙になろうとも流行から逸脱しようとも、不思議な感じやちょっと残念な感じになろうとも、その人の仕草や視線や笑顔というのは、間違いなくカワイイ。
その人が表現しているのはカワイイなのですから、カワイくあろうとする以上、その人はカワイイのだと思います。
人が倒錯するなんて当たり前の事ですしね、これはまた話しは逸れますが、そして別の文脈での話ですが、だからこそメンヘラというのも圧倒的にカワイイ訳です。
倒錯とカワイイは直結してもいる、そしてカワイくあろうとする人というのはいずれにせよ間違いなく、カワイイ。
そのカワイイ人を抱きしめる事は、アニメやファンタジーの領域のカワイイを抱きしめる事以上の大きな満足を得ることが可能、これは僕は間違いのない事実であると思うのですが。
という、カワイイについて、細部は微妙にごまかしていますけれど。
一つの想いにとらわれて、そのもの対自分が、いつしかそのものの中へ没入してゆく自分、距離感は一切ない、自分はその物でしかなくなる、突き詰める、ストイック、自制、意味、アイデンティティの脇外で表現される自分、こういうのもたぶんカワイイ、もしくは美しい、これはまた書きます、目を逸らす事ができない魅入るしかない強度。
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