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コンピュータ VS 人間
2017年04月12日 08:45囲碁や将棋の世界で時々聞きます、コンピュータ VS 人間、みたいな話。
人間はどこまでコンピュータに接近することが出来るのか。
感情を排して、情報処理能力を極限まで高めてゆけば、近づく事は可能なのか・・・・・・まあ無理なのでしょうけれど、冷静沈着な人に対して比喩的に「まるでコンピュータのように正確に・・・・・」という言い方はあったとしても、やっぱり脳は疲労しますから。
人間より動物の方がコンピュータに近いんじゃないでしょうか、環境からの刺激に対して正確に反応する、一切の迷いなく、その事によって有機体で在り続ける、そこには感情の入り込む余地はなくて、というか言語を保有してしないので複雑な感情は存在しようがなくて、高等な動物になれば何らかの情動の変化はもちろんあるのでしょうが、だから昆虫や魚とか植物とかの方が分かりやすいのかな。
刺激を受けた事によって遺伝子レベルで正確に反応・作動する有機体、そこには感情は存在しない、命令(刺激)が入力された事によって正確に実行(反応)するコンピュータ、そこにもやっぱり感情は存在しない。
人間以外の有機体というのは、非常に低スペックなコンピュータに近い、とも言えるのか。
それはまあ、どうなのか分からないですけど、あきらかに人間以外の生き物の方がコンピュータに親和性があるようにも思えます、生き物もコンピュータも、正確に作動するしかないという特性を持ってる、それに対して、ちょいちょい誤作動する人間・・・・・・。
そうなると人間は、世界のどこに書き込まれればいいのか?
自らが産出したものから疎外され、自分たちの出自である自然界からも疎外される・・・・・・・この状況を、人間はどのように捉えるのか、全ての支配者であるとナルシシックに思い込むのか、全てから疎外された存在であると、それは進化の行きつく先の定めとしての超越的存在であると、疎外を前向きに受け入れるのか。
一応、全てを破壊できるのは人間だけなのでしょうから、支配者としてどうにでも振るまえる訳ですね、ちょっと怖いですけど。
多分これから先の時代は、人間とコンピュータというのは、もっともっと融合が進んでゆくのでしょうね、ウェアラブルコンピュータ・・・・・身に着けるコンピュータ、そのうち仕事上は勿論、全てのコミュニケーションの媒介物として必需品になったりして、朝出掛けに身に着け忘れてしまうと大変ですから、じゃあ、体のどこかに埋め込んじゃえ、とか。
全ての情報を、全ての知識を持ち歩ける、そうなってくると、人間はどんどん万能感に囚われる、その時に超越者として地球上に君臨して、人間以外の全ての生き物を寛容な心で愛でようとするのか。
人間とコンピュータが融合した時、人間は神様になれてしまうのでしょうか。
そうですね、近代以降の今、神様は不在になっているのでしょうから、進歩の行きつく先は、人間の神様化・・・・・・・でいいのかな、よく分かりませんが。
相変わらず素っ頓狂な話がどんどんあり得ない方向に逸れて行ってしまいました。
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