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システムの作動

2016年11月06日 09:22

・・・・・・すいません、以下、訳の分からない事を思うままにダラダラ書いてしまいました、またいつか、もっとちゃんと整理して書き直します。

関係している者は観察者にはなれないという言葉を、テレビのニュースを見ていて不意に思い出しました。
関係するというのは、人間関係のような場合の事を言っているのか、そこでは情緒や情報の交換と言ったコミュニケーションのようなものが発生するのでしょうし、それは、その場所での言っていい事悪い事、規律のようなものも空気として生成されるのでしょうし、また、相互承認の為になされる場合も多いですね。
だからその場における人間関係システムのようなものが自然と形成されて言語が循環しだして、各人はそのシステムを円滑に作動させ続ける為の、要素としてそのシステムに取り込まれる、時には想いとは裏腹にという事もあるのかもしれないですけど。
ーー誰かから発せられた言葉の作用に基づいてまた誰かが新たな言葉を必然的に発する、新たな言葉をコミュニケーションという名の人間関係システム上に提出し続ける、相互承認システム、空気感を維持し続けるシステム、だから主役はその場に生み出された空気感や言葉であって、各人は主役ではなくてシステムを支え維持するための内部環境であるとか要素であるとかーー
面と向かってコミュニケーションを取っている時は、そのシステムの一要素として作動し続けるというか、これがその場の人間関係を円滑に成り立たせる・・・・思ってもいない、それは自分の考えという訳でもない、その場の空気によって要請された言葉を各人が提出し合う、言葉のキャッチボール様のもの、空気には逆らいにくいですしね、システムから無理やり離脱を試みながらその場に留まるというのは、チグハグに不自然になって態度や雰囲気ですぐばれてしまいますし。
コミュニケーションシステムの中にあって無理して観察者的態度をとろうとするとーーそれは相手の真意を自分の思考の中で瞬時に予想するとか、今の自分のリアクションで正しかったのかその場で自問自答するとかもそういう事の一部なのかもしれないですけどーー緊張するし不安にもなりますし、後で疲れてしまいますよね。
システム内にあって、そのシステムを観察しようとする時、要素としての役割が非常におろそかになる、その結果、言葉を提出できなくなったり、不適切な言葉を提出してしまったり・・・・「空気読めよ~」みたいな事になるでしょうか。
システムが解除された後、それはみんなと別れた後という事になるのですかね、そこで改めて自問自答とか相手の真意を想像するという場合もあるとは思うのですが、これもやっぱり自分の思考を通じてなされる事ですし、気になる時にはそのシステムとは無関係な第三者に、というのがいいのだとは思うのですが。
自分が無理しないで居る事が出来るシステムに参入できるのが理想的なのですけど。
システムに取り込まれる時、その場の空気感という様々な規律が出来たとして、その規律には命題があって、そうなると自己開示とか、なんらかの要請とかムチャぶりとか、なにか断れないで流れで何となくみたいな事も起きますし、だからこう言ったシステムに参入する事を警戒する方というのも、かなりいらっしゃるように思います。
まあ、色々と極端には書いているのですが。

なんでしょう・・・・もっとスタイリッシュにクレバーに書ければいいのでしょうが、つい、あーでもないこーでもないという結論そっちのけの思考の過程をだらだらと書き綴ってしまうので、もしかしたらこういうのは、本来は下書き的なものにすべきなのかもしれないですけど、分かりにくくてすみません。

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