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ツインピークス
2017年09月08日 20:36ツインピークスの新シリーズが放送されるような話を聞きました。
20数年前に前作が話題になってレンタルビデオで見ましたが、ただこれ、話題だったからというか、ツインピークスを見るという行為は、なにかかなり先端であるようなイメージがあったから、ただそんなような空気が漂っていたから全話見ただけであって、これは正直に白状すれば、惰性で我慢しながら、ただ映像を目で追い、字幕を読んでいた、途中で見るのをやめてしまうという事は、なにかからの脱落を意味するようにも思えてしまう中で。
というか世界一美しい死体とか、意味わかんなかった、そして理解しようとしながら見ようとしても、理解や解釈そのものを拒み続ける強度のようなものがあって、だから当時の僕にとっては、我慢比べでしかなかった、その時はいくら頑張ってみても興味が湧いて来ませんでした。
最後の一話を観終わった時の開放感、これはやっと終わってくれたという、形式的には、いっぱしに見終える事が出来たという安堵。
もう一度前作を見返してみようかとも思います、今、なんらかの理論を持ち出せば、もしかしたら映像や台詞を興味深く追える可能性も皆無ではないのかもしれない、と思わないでもない。
でも、見方としては、ただ単純に作品の強度を、ただ単純に感じる、受け取る、感覚する、そんな中で強度にただ精神をスキゾフレニックに拡散させ続ける、という見方が精一杯のようにも思え、そしてそれこそが世界観に浸る醍醐味であるかのような。
なんといってもデヴィッド・リンチ監督ですから・・・・・・分からんです。
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