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バブルを語る時

2016年06月27日 09:00

スマホ1980円の時代・・・・というCMを見るたびに思うのは、たぶんあの映像が1980年代を象徴している、みたいな事なのでしょうが。
バブルの時代という事ですよね、たま~に今でも、バブルの時代、自分がどんなふうに過ごしてきたかという事を、テレビで放映しているのを目にする事もあります。
ちょっとそういうのに違和感を覚えるというか・・・う~ん、うまく言い表せない感覚に陥ってしまうのですが。
今ほど欲望を覆い隠さなかった時代、今ほど繊細ではなかった時代、万能感に満ちた空気が漂っていた時代、今ほど清潔ではなかった時代、今ほど他者配慮的ではなかった時代、今より物や貨幣に強く意識が向いていた時代・・・・・・だめですね、列挙しだすとキリがない。
思うに僕にとっては、万能感に・・・・という事が大きなキーワードになるのか、多分バブル崩壊と共に社会全体を漠然と覆っていた万能感は打ち砕かれて、言ってみればーー社会が去勢されたーー的な事になるのでしょうが。
去勢とは個人個人が社会性を持つうえで欠かせない通過点で、去勢されて人間は万能ではないことを思い知らされる事で初めて、秩序に沿った中での独自の目標や目的について考え始める事が出来たりとか、人に対する配慮も出来るようになったりとか、そういう意味で、それを個人個人ではなくて社会全体の空気に置き換えて言っているのですが。
それを考えると社会として去勢を通過した今の時代の方が間違いなく成熟した社会という事になるのかな。
あぁ、なんとなくですけど、なぜバブルの語りを耳にする時に違和感を覚えるのかというのは、そうですね・・・・・・バブルを語る時、それは万能感を語る訳で、それは成熟した大人が子供の頃の精神状態に戻って嬉々として語っている態度のように感じてしまうのか、万能感に漂って自慢気に語っているように感じてしまうのか。
子供が「見て見て、僕こんなにすごいんだよ」的な高揚感にも近いかな、ちょっとそれを大人がやるというのは、なんか退行っぽくもあり。
まあ、僕が今ちょっとそう思っただけの事でしかないんですけど。

・・・・・・・話は逸れますが、個人個人の心の中で子供時代の事というのは、一般的にはそれなりに美化されていたりもしますね、でもそれは心の中の現実という意味において大切なものです、それと同じ構造で1980年代も「バブルの華やかな時代」という美化を被っていない事もないのかな。

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