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パルチザンのように

2021年04月10日 11:14

僕ら人間がコロナに追いやられる状況がもう一年以上続いている、活動範囲が狭くなり身体接触も控えめになり、情緒的にも平坦になり、さまざまな我慢を強いられているここ一年。
いささか言葉だけが独り歩きしている感は否めませんが、そしてそれを言う人は自分は知的であるという主張でしかない場合も、誰が言うかによっては、ない事はないように思えてしまいますが、、適切に怖がるというのは当たり前の事なのでしょう、それがないと警戒心は芽生えないのですから。
蔓延しているから、それを避けるように静かに生きる・・・・・・・・そう、ひっそりと静かに生きた一年、イメージ的には常に市中で監視を怠らないでいるコロナに見つからないように生きた一年であるようなニュアンスもない事はない。
このままひっそりと収束を待つしかない事は百も承知ではありますが、この、監視体制を決して怠らない、そして僕らを認識した瞬間に問答無用の全力攻撃を仕掛けてくるコロナ、このコロナというものに対してなんというか、単に抽象的な漠然とした精神的ニュアンスという事でしかないのだけれど、正面から向き合う事が出来るのか、とか半アクティングアウト的に衝動として思ってしまいます、避けずに正面から対峙して、それはある意味パルチザンのように、とか。
思い返せば空疎でしかなかったこの一年、充実感の欠けた一年間を過ごしてしまった後悔を伴う焦燥、これは身を隠してきた副作用としてそう感じてしまうのだとは思いますが・・・・・・・・・充実感という事を考えると、やはり、もしかしたら、正面から対峙して戦って、そういうパルチザン的な在り方のほうが、振り返った時に充実感という意味では、なんとなく満足を得られるような気もしますが、でもまあ、やはり日々の生活で言えばキチンと感染予防対策をして適切に怖がりつつ、蔓延を防いで収束を待ちながら、今できる事を工夫の中でやり、それは多少は充実と引き換えに今をやり過ごし続ける事になってしまうのだけれど、やはり我慢の日々は続くのでしょうが、せめて気持ちの上ではパルチザンのように、ってどうやったらいいのか実は皆目見当がつきませんし無理な事は十分に理解しているのです。

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