
神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。
ファルスに衝き動かされ
2018年03月25日 19:37子供の頃にという事でいいのか、もしかしたらそれは大人になる以前にと言った方がいいのかもしれませんが、飽きることなく何度でもなされ続けた去勢、最終的には諦めと共に自分が完全な欠如体である事を徐々に、何度も挫折を繰り返しながら思い知らされる中で受け入れるしかなかった、その効果として無意識の中心で象徴として圧倒的な存在感を示し続けているファルス。
理論を無視してイメージ的に言った場合、言葉を話す存在となる時に受け入れるしかなかったファルスに多くの挫折という経験が書き込まれ最終的に去勢が完成されると言ったような、完全に僕の個人的なイメージですが。
自分を振り返ってみた時、否認、症状、反動形成、アクティングアウト、言語から遠く離れたところで衝動的に湧き上がり続ける想いに突き動かされる、言語の監視を逃れながら。
この感覚のもとで、ひとたびファルスに焦点を当ててみると、まああり得ない事なのでしょうけれど、自分はファルスに突き動かされていたのだろうか・・・・・・ファルスに従っていただけなのではないだろうかという事に想いが及ぶ。
実体のない、空虚でしかないファルスに、欠如体の証としてのファルスに、自分が思うところの倫理や秩序や正義、時には反骨や単なる勢い、そんなようなものを目一杯無理やり詰め込んで、もう既になされている去勢を無視して、そんなものはなかった事にして、自らの理想を詰め込んだファルスの衝動に確信犯的に従い続ける。
そんな呆れるような態度も時にはいい結果を生むこともある、しかし多くの場合は、再度思い知らされる・・・・・・・完全な欠如体である事実を何度も何度も突き付けられる。
そしてその事実としての目の当たりを完全否定する為に、再度慌ててファルスに様々なものを詰め込んでは湧き上がる衝動を楽しみに待つという諦めの悪さ、という生きている実感。
本当はあり得ない事なのでしょうから、ただ自分の感覚でしかありませんけれど。
何に突き動かされるのか、それはやはり無意識内に圧倒的存在感を誇って鎮座しているものに突き動かされているようにしか思えない。
ファルスというのはひょっとしたらその人の性格の素のようなものを形成しているのかとかも勘違いしてしまう、抗い続けるファルス、誠実なファルス、従順なファルス、穏やかなファルス、脆弱なファルス、臆病なファルス、まあそんなことはないというのは分かりきっているのですけれど、単なるイメージです。
—————