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ベールの向こう側のエロス

2014年12月08日 09:24

「ダメよ~ダメダメ」これが子供たちから火がついた、と言う事を、報道バラエティで目にした時に、とっさに加トちゃんの「ちょっとだけよ」が想起されました。
僕が小学生のころ、ドリフがすごく流行っていて、でもちょっと下ネタ的なところもあり、クラスの同級生の中には、見る事を禁止されている家庭もあったりしました。
そして、その禁止されている同級生は、学校で休み時間に、羨ましそうに友達からドリフの話を聞いて、自分なりに想像して楽しむ、といったことをしていたように記憶しています。
うちは全然大丈夫で、家族全員で大笑いしながら見ていたんですけど。
「ダメよ~ダメダメ」も「ちょっとだけよ」も、どちらも、ベールの向こう側のエロスという意味では、同じような気がしてまして。
なんていうか、子供の頃って「大人には大人だけの世界があって、自分たち子供には内緒で、なんかやってる。そしてそれは大人にとって楽しいことに違いない」みたいな事を、口に出す出さないは別として、何となく漠然と思っているようなところがあったんじゃないかと思うんです。
そして、不完全な知識を総動員して、内緒にしている事は何なのかと、必死で考えたりして。
でも、知識が不完全な故に、なんの結論も出せずに、家にいる時に、その問題に思いが及ぶと、少し孤独感の様なものを感じて、それを打ち消そうと、あえて母親にわがまま言ってみたり、父親と指相撲をやって、負けそうになると、偶然を装って頭突きして、父親が痛がっている間に隙をついて、反則勝ちして大喜びしたり。
ちょっと話しがそれましたが・・・。
そんなような思いにジャストフィットしたのが、この二つのギャグなんじゃないだろうかと思うんですね。
でも、小学生低学年の頃に、大人と同じ知識があったとしても、やっぱり、大人の世界の意味は分からなかったと思います。
何と言うか、腑に落ちないというか、全力で否定したいというか、要は精神的に準備が出来ていないんだという事なんでしょうけど。
物心ついたころに、「こどもはどこから来るの?」とか「生まれる前はどうしてたの?」とか「なんでお父さんとお母さんがいるの?」みたいな事を、子供としては真剣に考えて、親に聞くんですけど。
その親の答えが、いつも違っていたり、又友達の親の答えと違っていたりすると、もうほんとに何を信用していいんだか、判らなくなってきて。
僕が父にした質問で、そのあと聞かなきゃよかった、悪かったなと思ったのは「ねえ、お父さん、なんでお父さんはいるの?なんで必要なの?」なんですけど、聞いた瞬間、父は眉間にしわを寄せて、不機嫌そうに煙草を吸いだして。
子供心に、「あれっ、やっちゃったかな?」と思い、しばらく遠まきに父を見ていた記憶があります。
・・・話を元に戻すと、子供がいくら思考の限りを尽くしても、大人だけで閉鎖された大人の世界には接近する事が出来なくて。
それがもどかしくて、大人に色々な質問をぶつけて、なんとかその閉鎖をこじ開けようとするんですけど、いつも大人からはぐらかされてしまい、仮に正確な知識を与えられたとしても、それに納得できるだけの精神的準備が整っていない。
そしてその事を、とても、もどかしく感じているといったところでしょうか。
以上のような想いにジャストフィットしたのが、ベールの向こう側にあるエロスとしての「ダメよ~ダメダメ」や「ちょっとだけよ」なのではないかと。

「そうそう、大人ってなんかよくわかんないけど、あんな感じかも」みたいに思う子もいるんじゃないでしょうか。
以上、勝手な解釈をしてみました。
でも、僕としては「いいじゃないの~」の方が好きなんですけどね。
「頑張れ、もうひと押し」とか思ってしまいます。

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