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ペットに宿る心
2017年01月14日 09:10飼い主とペットというのは、特に犬や猫の場合は、なんというか、不思議と何かが通じ合っているように思えてしまう・・・・・・といいますか、確実に動物側が本能を超えて飼い主と何かで通じ合っている、ようにも思えてしまう。
単なる、摂食を保障される為の条件反射的なもの、以上のものを感じます。
飼い主が自分の想いをペットに投射する行為とは別の領域で、なにかお互いの心と言われるようなもので、通じ合っているかのよう。
心が同期しない事には通じ合いようがないのですから、やはりそういう事なのでしょうが。
言葉を持たない存在に、心が・・・・・・となると、これはやっぱり、ペットというのは人間と生活を共にする中で、人間がペットを観察するのと同じように、ペットも飼い主を観察している、それは知能に応じて、かなり詳細に。
そして観察する中で、言語化はされないのだけれど、様々な観念様のものがペットの中にホワッと芽生える、人間の情動の変化を観察しているうちに、自然と。
言語化されていない観念、これは人間の心の根底にも忘れ去った経験として存在するものなのでしょうし、だからその言語化不可能な部分で通じ合う・・・・・言語化不可能な観念で通じ合うのですから、それは純粋なつながりという事になるのかな、とか思います。
飼い主を観察し、飼い主の情動を・・・・・・ペットが取り込む、コピーする・・・・・という事は、飼い主と非常に似通った、観念の集合体としての心(無意識の根底?)のようなものが自然と生成される、これはペットにも簡易的な心のようなものが存在するという事なのか。
根底が似通った者同士は、通底する・・・・・・通じ合って当たり前なのかな、などという事をチラッと思いました。
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