神奈川県藤沢市城南 東海道線沿線のカウンセリングルーム。辻堂駅より国道一号線方面へ徒歩12分。10:30~21:00、年中無休。


ボタニカル系

2021年04月23日 13:10


・・・・・・・ああそう、植物系?ボタニカル系?植物的みずみずしさやしなやかさや純白さ、これこそが魅力、とか感じているのかもしれません。

暑苦しさ、胸焼け、脂っこさ、動物性、こういうものの対極に位置する女性として、なのかなと思います。

そうですね、多くのお客さんが気が付くのでしょう、さっそく言われましたし。

「あれって、しんさんのお母さんの事ですよね、あの脂っこいほうのやつ」

僕は実家の二階の一室を改装して、と言うほどの事はないのですが、使っていなかった一室にテーブルと椅子を設置してカウンセリングさせて頂いているので、終わってから一階に下りて玄関にゆく途中、リビングがチラッと見える、そのリビングではもうとっくに80歳を超えているのに何故か70歳くらいにしか見えないギラギラのおばさんがカラオケの練習をしていたり、友人たちとマージャンをしていたり、近所の人達と晩飯食いながら下衆な話で盛り上がりガハガハ大笑いしていたり、あと、幸せな勘違いと共にバッチリ着飾ってお出かけの時に玄関先ですれ違った人もいる、超肉食オラオラ系動物性たんぱく質オバサン。

古典的には母親というのは男児が最初に接触する異性、母親に向けていた想いを大人になって恋愛対象の女性に向ける、というセリーは僕はあまり賛成はできないのですけれど。

その最初の異性はどのような性格をしていたのか、その性格に近似した女性を好きになるのか、そうではなくその性格に大きな不満を抱き、自分なりの心的現実としての母親像を作り上げ、その理想像により近い女性を求めるのか。

いづれにせよ現実的な母親との交流を通じて、自分なりの、追い求める女性の像が出来上がる、という事は言えない事もないのかもしれません。

そのまま取り込む男性もいるし、そうではなく真逆を求める人もいるし、その両方の妥協案や折衷案を見出す人もいる「まあね、もうちょっとこういうお母さんだったらよかったのにな」的に。

僕は間違いなく真逆を求めていると断言できます、粘着的依存、優位性を最大限に活用した支配や操作、期待や要求や厳罰という条件付きの愛とは程遠い執着、やたらとデカい声、自己の正当化、エネルギッシュなだけの無能さ、姑息に策を弄する態度、湯号が悪くなると弱ったフリをする見えすいた演技性、自信のなさを強固なプライドで覆い隠し真実を暴かれそうになれば即座にヒステリックにまくし立てる・・・・・・この辺りを明確に認識するようになったのは、父の死後なのかな、だから十数年前、僕にとっては父の想いを理解出来た瞬間でもある、肝臓・心臓・極度のストレス・鬱状態、まあカサンドラにも当て嵌まるのかもしれないですけれどね。

僕は昔から何故か自分の事を水だとか思っていたし、女性も水を連想させるような人が好きだった、先日書いた、植物系?ボタニカル系?植物的みずみずしさやしなやかさや純白さ、こういうイメージを常に追い求めてきたように思いますし、守りたくなるし賛美したくなる。

逆に母の性格の片鱗を女性に感じた時、嫌悪感しか抱かないし、もし戦略的に依存してこようものなら破壊衝動が自動的に湧き上がる。

これは多分カウンセリング非常に役に立っている事でもあって、そういう人格障害にも通じる心性に悩まされ、どうしたらいいのか分からなくなったり不調に陥ったり、そういう人達の相談にのる時自分の経験してきた事や対応方法を話す事もあるし、パワハラやセクハラやモラハラ、これをやる側の心性でもありますしね。

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