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マスカレードな人生

2016年09月04日 09:05

フツーに言いますね「キャラを脱ぎ捨てて、仮面を脱ぎ捨てて、自然体の自分で、本当の自分で」
まあ、キャラでも仮面でもどっちでもいいんですが、仮面の方が分かりやすいかな・・・・・じゃあ、仮面で。
自分が産まれて、はじめは仮面なんかかぶってないですね、言葉がまだ理解できないうちは、そこでは文字通りの自然体、ただの生命体でいるしかない。
そして、少しづつ神経系が充実してくるに伴って、成長に伴って、言葉が理解できるようになり、喋れるようになり、これは言葉で思考出来るようになるという事でもありますね。
そういう時期に、鏡の前に連れてこられて「ほら、これが〇〇ちゃんだよ、かわいいね」と言われた瞬間に、これが自分というもの、そしてどうやらこの自分というものは、かわいいということらしい、という事が、これは刷り込まれるみたいなイメージでいいのかな。
ここでまず、第一の仮面、かわいい自分という仮面を装着する。
その後も成長に合わせて、さまざまな言葉を差し出される訳ですが、叱られたり褒められたり悲しい想いをさせられたり・・・・・そこにインパクトがあると当然その差し出された言葉に応じた仮面が作成され、それを装着します。
当初のかわいい自分という仮面、何をやってもダメな自分という仮面、にこにこして物分かりのいい子という仮面、優しくてしっかりしている自分という仮面。
成長して学校に行くようになると、さまざまにコミュニケーションを取らなくてはいけないですから、そこでも又自分なりに工夫した仮面を装着するし、自立して一人前になると大きな責任も背負わなくてはいけませんから、仮面の種類はもっともっと増えてゆくでしょうか。
結局のところ、最初にかわいいという仮面を装着した時からーーそしてそれは無責任なただの生命体である事を放棄した瞬間という事でもあると思うのですがーー仮面を装着し続けるしかない、最初にかわいい自分という仮面を装着させてもらった訳ですが、それを自然と受け入れたのは何故か?
もちろん、自分を取り巻く環境に適応するためですね、差し出された言葉を受け入れないで「いや違う、自分は可愛くなんかない」などと反発・主張してしまっては、その環境で生き延びづらいですしね、まだ一人では生きられない訳ですし、養育者の期待を受け入れ続ける、とも言えるのかもしれないですけど。
そしてこの流れが成長段階、または成人後の社会的な関係の中でも続きます。
自分を取り巻く環境から求められる仮面を自然と装着します、それは子供の頃がそうであったように、環境に適応して生き延び続けるために。
だから、僕らは社会的存在である限り、ずっと仮面を装着し続ける事になるのかもしれません、まあね「人生ってマスカレード・・・・みたいな?」とか思っていれば、神秘的でいいのかもしれませんけど。
仮面を脱ぎ捨てて自然体の自分、というのは、本当に深い話をしてしまうと、ちょっと危険な言及でもあって、仮面の脱ぎ捨て方なんか誰も知らない、というか。
仮面をまだ装着していなかった時期、自然体でいる事ができた時期、それは自分がまだ、これが自分であるという認識が芽生える前の、単なる無責任な生命体でしかなかった時の自分、もしくは自分と認識できない何か、という事でしかなくて、そこに戻るという事は極度の退行という事、赤ちゃん返りですね。
もしかしたら疑似的にそこに戻るという事も、メタの視点で短時間ならいいのかもしれないですけど、そこは言語が排除される場所ですし、だからもし可能だったとして性愛の文脈で、それもメタの視点で短時間。
そんな風に考えた時、仮面を脱ぎ捨てて自然体の自分、というのはあくまでもナルシシズムに基づいた想像的な表現なのかもしれなくて。
記述を訂正・変更すると、自分がその時装着したいと思った仮面を人の目を意識する事なく装着する事ができ、その時の気分で好きな仮面を装着した自分は、相手に受け入れられる事が保障されている、という状態、周りを気にせずに自分のかぶりたい仮面をかぶっていい状態。
たぶん深い話をすれば、こんな見方もあるのだと思います、どんな自分でも受け入れられる事が保障されている場、その時の気分で誰に気兼ねする事なく、自分の装着したい仮面を自然に、自分の意思で選ぶことが出来る、考えずに気兼ねする事なく自然体で選択する事ができる環境。
また、自分から率先して仮面を作成する事があるとしたら、それは、本当の自分、という仮面でしょうか、これは様々な環境の中で適応する為に、その都度作成してきた仮面に対する、不満の集合体としての仮面である、なんて事もないことはないです、ほんとはこうしたいのに・・・・という思いの集合体でしょうか。
・・・・突き詰めれば、物心ついた時から、依存対象の要求や期待を察知したり空気読んだりしながら成長してゆく訳で、それは言ってみれば、状況に応じたキャラの設定であったり仮面の装着であったり、また、それが社会性を持つという事なのかもしれないですしね・・・・・・・まあ極論ですし、突き詰めた場合の一つの考え方として、そして余程の深い葛藤(自分が分からない・自分が空っぽ、とかもその一つでしょうか)がある場合以外は考える必要のない事なのですが。


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